第二次暗号計画

【随時更新中】


古今和歌集(905年)

かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心・言葉多く、様々になりにける、遠き所もいでたつ足もとより始まりて、年月をわたり、高き山も麓の塵ひぢよりなりて、天雲たなびくまで生ひのぼれるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし。難波津の歌は、帝の御初おほむはじめなり、安積山あさかやまの言葉は、采女うねめたはぶれよりよみて、《(古註)万葉集「浅香山の歌」の詞書を引用》この二歌は、歌の父母のやうにてぞ(古今和歌集・仮名序)
女王や諸王(花)を愛で、春日アマノコヤネ(鳥=鶏)を羨み、その子オシクモ(霞)を憐れみ、その子孫(露)の行く末を悲しむ歌が多い。難波津の歌は、タカヒコネ(高き山)がウヒチニの系譜の傍系ながら(麓の塵ひぢよりなりて)、盟主・春日と連合を組む(天雲たなびく)までになったことを歌った歌だ。≫考察記事
※新たな暗号「難波津」と万葉集の暗号「浅香山」の二つの歌を「父母」とすることで、万葉集が暗号書であること、そしてこの古今和歌集も暗号書であることを知らせている。
※万葉集の「浅香山」の歌の詞書の引用は、そこに重要な情報があることを示唆している。

青柳の糸絶えず、松の葉の散り失せずして、まさきの葛(かづら)長く伝はり、鳥の跡久しくとどまれらば(古今和歌集・仮名序)
タカヒコネ(青柳)とアメミチ姫の四姉妹の子孫たち(糸)は代々の女王となり(絶えず)、カゴヤマ(松)の系譜(葉)も存続し、日高見(まさき=真榊)は天孫に吸収されて(葛)長く継承され、ウカヤフキアワセズの系譜(鳥の跡)も久しく受け継がれた。≫考察記事

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花(古今和歌集・仮名序 王仁)
コノハナサクヤ姫(アメミチ姫)の子孫たちは有明海沿岸の難波津に追放されていたが(冬ごもり)、そこから玄孫のミススヨリ姫が春日と大物主の連合の女王に擁立された(咲くやこの花)。≫考察記事

君がため 春の野にいでて 若菜摘む わがころも手に 雪は降りつつ(古今和歌集1-21 仁和帝)
盟主・春日オシクモの連合相手として配流先の大丹生から呼び出されたウカヤフキアワセズは、オシクモの娘ヤセ姫を女王に擁立して大王となった。/(和歌解釈)盟主・春日アマノコヤネによって配流先の四国から九州に呼び戻されたトカクシは、オシクモの后モトメの妹アサ姫を女王に擁立して大王に即位したが、その時にはまだ春日の支配下にあった。≫考察記事

桜花 さきにけらしな あしひきの 山のかひより 見ゆる白雲(古今和歌集1-59 紀貫之)
ウサコ姫が女王に擁立されたのだろう。春日を盟主とする九州連合同盟の盟主連合が足立山の麓の地峡で成立したのだ。≫考察記事【準備中】

あだなりと 名にこそたてれ 桜花 年にまれなる 人も待けり(古今和歌集1-62 読人知らず)
伊勢物語028 ≫考察記事

今日来ずは 明日は雪とぞ 降りなまし 消えずはありとも 花と見ましや(古今和歌集1-63 在原業平)
伊勢物語029 ≫考察記事

春霞 たなびく山の 桜花 うつろはむとや 色変わりゆく(古今和歌集2-69 読人知らず)
春日(春霞)がウサコ姫(桜花)と婚姻して橘と連合を組む(ウツロ食む)に至って、九州王権(山)の状況(色)は大きく変化した。≫考察記事【準備中】
※ウサコ姫はホノススミ(桜)の娘ミチツル姫の娘である

ひと目見し 君もや来ると 桜花 今日は待ちみて 散らば散らなむ(古今和歌集2-78 紀貫之)
ホノススミは、誕生してまもなく四国に配流されてしまったタケフツとの連合を企てて、娘ミチツル姫を差し出そうとしていた。≫考察記事【準備中】

ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ(古今和歌集1-84 紀友則)
春日が盟主の座に復帰した連合の(ひさかたの光のどけき春の日)次代女王にはミススヨリ姫が擁立されたが、その連合相手は橘ではなかった。なぜ橘(花)はわずか一代で(しづ心なく)盟主連合の連合相手の座から転落したのだろう(散るらむ)。≫考察記事

春雨の 降るは涙か 桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ(古今和歌集2-88 大友黒主)
春日の主導で(春雨の降る)ソサノヲ嫡系(涙)のホノススミ(桜花)が連合同盟から排除された(散る)ことを惜しまない人はいない。≫考察記事

三輪山を しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ(古今和歌集2-94 紀貫之)
春日主導のもと(春霞)、大物主フキネ(三輪山)の男系が断絶し(隠す)、橘も連合同盟から排除されて(鹿も隠す)、ホノススミは女王位継承権のない后を迎えたようだ(人に知られぬ 花や咲くらむ)。≫考察記事
※「本歌取り」という技法で作られた歌。本歌は万葉集1-18

秋風の 吹きにし日より 久方の 天の河原に 立たぬ日はなし(古今和歌集4-173 読人知らず)
アメタネコがウサコ姫を娶ってトカクシを追放し、盟主の座を取り戻した日から、春日国でアメタネコの帰りをずっと待っている。≫考察記事

久方の 天の河原の 渡し守 君渡りなば かぢかくしてよ(古今和歌集4-174 読人知らず)
中国から東シナ海を渡って九州にやってきたアマノコヤネの航海を支えた海洋王サルタヒコ。アマノコヤネが再渡来した後には四国に配流されることになった。≫考察記事

おほかたの 秋くるからに 我が身こそ かなしきものと 思ひ知りぬれ(古今和歌集4-185 読人知らず)
他の王たちが四姉妹(秋)を女王に擁立して連合大王に即位する(秋くる)中、大王に即位できなかったニギハヤヒとしては悲しさが思い知らされる。≫考察記事

我がために くる秋にしも あらなくに 虫の音聞けば まづぞかなしき(古今和歌集4-186 読人知らず)
ミラ姫が盟主連合の女王になれないことはとっくにわかっていたが、イヒカリ姫が盟主連合の女王に擁立されると聞くと、すぐに悲しくなってしまう。≫考察記事

ものごとに 秋ぞかなしき もみぢつつ うつろひゆくを かぎりと思へば(古今和歌集4-187 読人知らず)
ヤセ姫がミケイリと結婚し(もみぢつつ)、ウサコ姫がアメタネコと結婚したことにより(うつろひゆく)、四姉妹の子孫である女王候補(秋)は一人もいなくなり(かぎりと思へば)、物主と同様(ものごとに)、トカクシやホノススミの運命も悲しいものとなった。≫考察記事

いつはとは 時はわかねど 秋の夜ぞ 物思ふことの かぎりなりける(古今和歌集4-189 読人知らず)
いつかはわからないが、トカクシの娘サシクニワカ姫(秋の夜)とフキネとの間には男子が生まれなかったので、物主との連合関係(物思ふこと)も終わることになるなぁ。≫考察記事

久方の 月の桂も 秋はなほ もみぢすればや 照りまさるらむ(古今和歌集4-194 壬生忠岑)
アマツヒコネの系譜を天孫イナイイの系譜に統合したタマヨリ姫(久方の月の桂)が再婚して女王に再即位する可能性が出てきたからか(もみぢすればや)、諸王による女王獲得競争はさらに激しさを増したようだ(照りまさるらむ)。≫考察記事

秋の夜の 明くるも知らず 鳴く虫は 我がごとものや かなしかるらむ(古今和歌集4-197 藤原敏行)
トカクシを盟主とする時代が終わろうとしているのも知らずにトカクシの子ミチヲミと婚約していたイヒカリ姫は、トカクシ同様、悲しい思いをしているだろうか。≫考察記事

君しのぶ 草にやつるる ふるさとは 松虫の音ぞ かなしかりける(古今和歌集4-200 読人知らず)
トカクシが盟主の座から転落して配流された生まれ故郷である四国には、ミチヲミの婚約者だったイヒカリ姫がいることから、ますます悲しみが深まってしまう。≫考察記事

秋の野に 道も惑ひぬ 松虫の 声する方に 宿やからまし(古今和歌集4-201 読人知らず)
ミチヲミ(道)も父トカクシとともに、イヒカリ姫(松虫)がいる四国に配流されることになるのだろうか。≫考察記事

秋の野に 人まつ虫の 声すなり 我かとゆきて いざとぶらはむ(古今和歌集4-202 読人知らず)
盟主トカクシが失脚してウサコ姫(秋=安芸)を娶っていたアメタネコが盟主に復帰し、盟主連合の女王候補だったイヒカリ姫が通常の女王候補として元服したものの、しばらくの間、女王に即位することがなかった(人待つ)。後の神武天皇・タケヒトがアヒラツ姫(安芸)を娶るに及んで、クロハヤがイヒカリ姫を娶ることになった。≫考察記事

もみぢ葉の 散りてつもれる 我が宿に 誰をまつ虫 ここら鳴くらむ(古今和歌集4-203 読人知らず)
夫イナイイを追放されたタマヨリ姫(もみぢ)はニギハヤヒの子ウマシマチと再婚して女王に再即位し、女子は生まれなかったが(葉の散りて)男子クロハヤが生まれた(つもれる)。トカクシとホノススミが争奪戦を繰り広げた次期女王候補イヒカリ姫(松虫)は、二人が追放された今、クロハヤと結婚することになるのだろうか。≫考察記事

春霞 かすみていにし 雁がねは 今ぞ鳴くなる 秋霧の上に(古今和歌集4-210 読人知らず)
鹿児島(壱岐)に幽閉されていた(かすみていにし)ウカヤフキアワセズ(雁)は、盟主春日(春霞)の連合相手に指名され、オシクモの娘ヤセ姫と結婚した(秋霧の上に鳴く)。≫考察記事

ちはやぶる 神なび山の もみぢ葉に 思ひはかけじ うつろふものを(古今和歌集5-254 読人知らず)
神代から伝わる血統を継承する畝傍山のタケヒト(神武天皇)の最初の后アヒラツ姫(もみぢ葉)に思いをかけるのはやめよう。連合女王である二番目の后タタライソスス姫にはかなわないのだから。≫考察記事

散らねども かねてぞ惜しき もみぢ葉は 今はかぎりの 色と見つれば(古今和歌集5-264 読人知らず)
アメミチ姫は男系が断絶したミケイリの系譜を統合する女王であり、「国の色(=連合女王)」であるタタライソスス姫が即位するまでの今だけの「色」と見れば惜しまれる。≫考察記事

久方の 雲の上にて 見る菊は 天つ星とぞ あやまたれける(古今和歌集5-269 藤原敏行)
春日と連合したアタツクシネの娘ユリ姫であるから、春日との連合女王かと見間違えてしまった。≫考察記事

竜田川 もみぢ葉流る 神なびの みむろの山に 時雨降るらし(古今和歌集5-284 読人知らず)
アヒラツ姫(もみじ葉)を娶ったタケヒトが配流された(流る)畝傍山(みむろの山)を支配するアタツクシネ(竜田川)は、盟主春日の連合相手となったようだ(時雨降るらし)。≫考察記事

踏みわけて さらにやとはむ もみぢ葉の 降り隠してし 道と見ながら(古今和歌集5-288 読人知らず)
元盟主のトカクシの子ミチヲミ(道)が四国に配流された(隠して)後、長い間南九州に配流されていた(踏みわけて)天孫タケヒトはアヒラツ姫(もみぢ葉)を娶り(降り)ミケイリの系譜を統合してさらに次に向かおうとしていた(さらにやとはむ)。≫考察記事

もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 紅深き 浪や立つらむ(古今和歌集5-293 素性法師)
アヒラツ姫(もみぢ葉)を娶ったタケヒトが配流された(流れてとまる)拠点(みなと)を支配する海洋王アタツクシネ(紅)は、盟主春日の連合相手となっているだろう(浪や立つらむ)。≫考察記事

ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは(古今和歌集5-294 在原業平)
オオトシの娘ウズメ(竜田川)とサルタヒコの娘ウケステメ(唐紅)の二人の女王を擁立することによって、オオトシ(水)を連合同盟から排除してしまう(くくる)とは、アマテルの時代(ちはやふる神代)にはなかったやり方だ。≫考察記事

竜田姫 たむくる神の あればこそ 秋の木の葉の ぬさと散るらめ(古今和歌集5-298 兼覧王)
サルタヒコの系譜(竜田姫たむくる神)は、イスキヨリ姫(秋の木の葉)がタカクラシタに嫁ぐことによって天孫傍系に統合されてしまうのだろう(ぬさと散るらめ)。≫考察記事

神なびの 山をすぎ行く 秋なれば 竜田川にぞ ぬさはたむくる(古今和歌集5-300 清原深養父)
安芸から難波に移り女王に擁立されたミススヨリ姫は、ウズメの曾孫アタツクシネ(竜田川)に嫁いだ(ぬさはたむくる)。≫考察記事

年ごとに もみぢ葉流す 竜田川 みなとや秋の とまりなるらむ(古今和歌集5-311 紀貫之)
アヒラツ姫(もみぢ葉)を娶ったタケヒトがアタツクシネ(竜田川)の海洋拠点(みなと)に配流されて(流す)何年もたつが、女王の系譜(秋)は途絶えてしまうのだろうか(とまりなるらむ)。≫考察記事

梅の花 それとも見えず 久方の あまぎる雪の なべて降れれば(古今和歌集6-334 読人知らず)
盟主春日(久方の)オシクモが支配する同盟国諸王が、アメミチ姫の生んだ四姉妹(あまぎる雪)と次々と結婚する中(なべて降れれば)、ニギハヤヒ(梅)の后となったミカシヤ姫(梅の花)は、四姉妹の威光のもとではまったく目立たなかった(それとも見えず)。≫考察記事

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(古今和歌集9-406 安倍仲麻呂)
九州の同盟連合(天の原)の女王(月)として、春日アマノコヤネの娘シラタマ姫が御笠山の麓にやってきた。≫考察記事
※御笠山の麓とは春日国・飛火丘とぶひのおか(福岡県筑紫野市二日市・峰畑遺跡に比定)
※『土佐日記』に紀貫之が改変したバージョンがある。≫土佐日記

ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れ行く 舟をしぞ思ふ(古今和歌集9-409 読人知らず)
大物主カンタチ(霧=桐)の時代に北九州(ほのぼの、明かし)を通り壱岐から四国へと配流されていった(島隠れ行く)タケフツ(舟=鰐)のことを思う。≫考察記事

唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ(古今和歌集9-410 在原業平)
はるばる中国から九州に渡来したウケステメを妻に迎えて(唐衣着つつ慣れにし妻しあれば)大王に即位した今、あらためて妻の長旅(はるばる来ぬる旅)を思う。≫考察記事
(詞書)東の方へ友とする人ひとりふたりいざなひていきけり、みかはの国八橋といふ所にいたりけるに、その川のほとりにかきつばたいとおもしろく咲けりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつばたといふ五文字を句のかしらにすゑて旅の心をよまむとてよめる
漢女(菖蒲)がいた場所と杜若の場所が同じ場所であること、その場所に同盟国の王(友)が結婚のために通ったこと、その地が「三河」とも呼ばれていたことを知らせている。

名にしおはば いざ言問はむ みやこ鳥 我が思ふ人は ありやなしやと(古今和歌集9-411 在原業平)
伊勢物語014

小夜ふけて なかばたけゆく 久方の 月吹きかへせ 秋の山風(古今和歌集10-452 景式王)
四国王トカクシが盟主の座を奪ってからずいぶんと経った。安芸の大津小竹宮でウサコ姫を女王に擁立したアメタネコよ、盟主の座を取り戻しておくれ。≫考察記事

のちまきの おくれておふる 苗なれど あだにはならぬ たのみとぞ聞く(古今和歌集10-467 大江千里)
アマツヒコネ(粽)の父タカキネ(粽の苗)は、トヨウケの再婚(後撒き)によって遅くに生まれた(遅れて生ふる)が、そのおかげで在来九州王の座を「アタ」に奪われずにすんだと聞く。≫考察記事
※詞書に「粽」とあることで、「後撒き」が「粽」と掛けられていることが明記されている。

郭公ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな(古今和歌集11-469 読人知らず)
ホノススミ(あやめぐさ)の娘ミチツル姫(ほととぎす)の女王擁立(鳴く)は、ウケステメ(あやめ)のそれとはずいぶん意味の異なるものだなぁ。≫考察記事

起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて 眺め暮らしつ(古今和歌集13-616 在原業平)
伊勢物語003

人知れぬ わが通ひ路の 関守は 宵々ごとに うちも寝ななむ(古今和歌集13-632 在原業平)
伊勢物語007

君こずは ねやへもいらじ 濃紫 我がもとゆひに 霜は置くとも(古今和歌集14-693 読人知らず)
橘は女王の居場所から遠い場所に配流され、橘の君ウサツヒコはミススヨリ姫の結婚相手でもなくなった。姉のウサコ姫はアメタネコの后になったというのに。そして、ミススヨリ姫の結婚相手となったアタツクシネも女王の居場所にはやって来ず、ミススヨリ姫がアタツクシネのもとに嫁ぐことになった。≫考察記事

陸奥の しのぶもぢ摺り 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに(古今和歌集14-724 河原左大臣)
伊勢物語003

色もなき 心を人に 染めしより うつろはむとは 思ほえなくに(古今和歌集14-729 紀貫之)
【検討中】

月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして(古今和歌集15-747 在原業平)
伊勢物語005

久方の 天つ空にも すまなくに 人はよそにぞ 思ふべらなる(古今和歌集15-751 在原元方)
ミホヒコは中国から九州に戻ったが盟主としての務めを果たすことができず、盟主の連合相手(人)へと格下げになった上で、40穂(20歳、四十よそ他所よそ)で女王となったが離縁されたスガタ姫と再婚したようだ。≫考察記事

天雲の よそにも人の なりゆくか さすがに目には 見ゆるものから(古今和歌集15-784 紀有常女)
伊勢物語032 ≫考察記事

紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る(古今和歌集17-867 読人知らず)
タカヒコネとアメミチ姫(ヨト姫)の再婚(杜若=紫)に始まった女王の系譜であるから、北九州から有明海沿岸の大和難波に配流されても(草)なお、その価値は変わらない。≫考察記事

紫の 色濃き時は めもはるに 野なる草木ぞ 別れざりける(古今和歌集17-868 在原業平)
橘が最も隆盛を極めた時には、ウサコ姫がアメタネコに嫁いで春日の連合相手にもなったのに、同じように有明海沿岸に配流されていた橘と春日は、その場所だけでなく連合関係も解消されて、遠く離れることになってしまった。≫考察記事
(詞書)めのおとうとをもて侍りける人に、うへのきぬをおくるとてよみてやりける
四姉妹の弟シイネツヒコが連合を組んでいた春日に、盟主連合女王としてミススヨリ姫を差し出す時に詠んだ歌。

久方の 中におひたる 里なれば 光をのみぞ たのむべらなる(古今和歌集18-968 伊勢)
中国(久方)でアマノコヤネの娘シラタマ姫と結婚した(生ひたる)ミホヒコにとっては、アマノコヤネ(光)だけが頼りのようだ。≫考察記事

忘られむ 時しのべとぞ 浜千鳥 ゆくへも知らぬ 跡をとどむる(古今和歌集18-996 読人知らず)
ウカヤフキアワセズ(千鳥)は幽閉され(浜、ゆくへも知らぬ)、幽閉を解かれた後も不遇をかこっていたが(忘られむ)、その後復権し(しのべとぞ)天孫嫡系を継承することになった(跡をとどむる)。≫考察記事


延喜式(905-27年)

大祓詞おほはらへのことば

高天原たかまのはら神留かむづまりす すめらむつかむ漏岐ろぎ かむ漏美ろみみことちて 八百やほ萬󠄄神よろづのかみたちかむつどへにつどたまひ かむはかりにはかたまひて すめ御孫みまみことは 豐葦󠄂原とよあしはら水穗國みづほのくにを 安國やすくに平󠄁たひらけくろし食󠄁せと ことさしまつりき さしまつりし國中くぬちに 荒󠄄神等かみたちをば かむはしにはしたまひ 神掃かむはらひにはらたまひて ことひし磐根いはね 樹根きねち 草󠄂くさかき葉󠄂をもことめて あめ磐座放いはくらはなち あめ八重やへぐもを 伊頭いつ千別ちわきに千別ちわきて 天降あまくださしまつりき さしまつりし四方よも國中くになかと おほやまと高見國だかみのくに安國やすくにさだまつりて した磐根いはねみやばしらふとて 高天原たかまのはら千木ちぎたかりて すめ御孫みまみことみづ殿あらかつかまつりて あめかげ かげかくして 安國やすくに平󠄁たひらけくろし食󠄁さむ國中くぬちでむあめ益人ますひとが 過󠄁あやまをかしけむ種種くさぐさ罪事つみごとは あまつみと 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許許太久ここだくの罪を 天津罪と法別て くにつみと 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 許許太久ここだくつみでむ でば あま宮事みやごとちて あま金木かなぎもとり すゑちて くら置座おきくららはして あま菅麻󠄁すがそもとち すゑりて 八針やはりきて あま祝詞のりとふと祝詞のりとごと

らば あまかみあめ磐門いはとひらきて あめ八重やへぐも伊頭いつ千別ちわきに千別ちわきて こし食󠄁さむ くにかみ高山たかやますゑ 短山ひきやますゑのぼして 高山たかやま伊褒理いほり 短山ひきやま伊褒理いほりけてこし食󠄁さむ こし食󠄁してば つみつみらじと しなかぜあめ八重やへぐもはなことごとく 朝󠄁あしたぎり ゆふべぎりを 朝󠄁風あさかぜ 夕風ゆふかぜはらことごとく おほ津邊つべ大船おほふねを 舳解へとはなち ともはなちて 大海原おほうなばらはなことごとく 彼方をちかたしげもとを 燒鎌󠄁やきがま鎌󠄁がまちて はらことごとく 遺󠄁のこつみらじと はらたまきよたまことを 高山たかやますゑ 短山ひきやますゑより 佐久那󠄁太理さくなだり多岐たぎつ 速󠄁川はやかはおり津比賣つひめかみ 大海原おほうなばらでなむ なば 荒󠄄潮󠄀あらしほ潮󠄀しほ八百道󠄁やほぢ潮󠄀道󠄁しほぢ潮󠄀しほ八百やほあひ速󠄁開はやあき都比賣つひめかみ 加加呑かかのみてむ 加加呑かかのみてば ぶきぶきぬしかみ 根國ねのくに 底國そこのくにぶきはなちてむ ぶきはなちてば 根國ねのくに 底國そこのくに速󠄁はや佐須良比賣さすらひめかみ 佐須良さすらうしなひてむ 佐須良さすらうしなひてば つみつみらじと はらたまきよたまことを あまかみ くにかみ 八百やほ萬󠄄よろづ神等共かみたちともに こし食󠄁せとまを

あめかげ かげかくして:ホツマツタヱの「セオリツ 天の御影に アキツ姫 日の御影差す」に対応するもので、セオリツ姫の婚約者でハヤアキツ姫の息子であるアマツヒコネが配流されたことを示す。
くにかみ:モチコを討伐したと記されるハヤアキツ姫、セオリツ姫、イフキトヌシ、ハヤコ(ハヤサスラ姫)が「国神くにつかみ」、すなわち王位継承権をもたない人物たちであったことを示す。
高山たかやま伊褒理いほり 短山ひきやま伊褒理いほり:高山は日田盆地、短山は玖珠盆地である。飛騨に高山地名があるのはそのためである。
大海原おほうなばら:「海原」は古事記がイサナギがソサノヲに治めるよう指示した「根国ネノクニ」を置き換えたもので、海幸(ホノススミ)がソサノヲの子孫であることと、卯川宮が西山陰にあることを伝える暗号であった。ここではその「海原」がセオリツ姫が向かった場所が西山陰であることを伝えるために用いられている。続く一節に八百会(関門海峡)を登場させるのも、佐久済サクナタリ(佐賀関半島)との位置関係を示すためである。すなわち、ホツマツタヱがセオリツ姫の経路として記す「佐久済サクナタリ日隅ヒスミ日高見ヒタカミ香具山下カグヤマト~二岩浦」は「佐賀関半島~関門海峡~西山陰」であると伝えているのである。
ぶきぶきぬしかみ 根國ねのくに 底國そこのくにぶきはなちてむ:九重連山の大船山が噴火して、日田玖珠地方に甚大な被害が及んだことを示す。
佐須良さすらうしなひてむ:直前の「持ち出でなむ」によって攪乱しているが、ここは「モチサスライ姫」でモチコのことである。モチコはハヤコの姉であり、姉を失ったとしているのである。


土佐日記(934年)

昔、阿部仲麻呂といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、船に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。飽かずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。その月は、海よりぞ出でける。これを見てぞ、仲麻呂の主、わが国に、かかる歌をなむ、神代よりも詠ん給び、今は、上中下の人も、かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む。
青海原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
とぞ詠めりける。かの国人、聞き知るまじく思ほえたれども、言の心を男文字に、さまを書き出だして、ここの言葉伝へたる人に言ひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ愛でける。唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。

この記述は、古今和歌集にある「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」が、「静養先から都に上ることになったシラタマ姫を詠んだ歌」であることを知らせるための暗号になっている。
歌の部分では、古今和歌集の歌の「天の原」を「青海原」に改変している。「天の原」バージョンには「天の原」と「月」によって「妾の話」と結びつける効果が、「青海原」バージョンにはこれを「竈神の話」の結びつける効果がある。同じ歌を二つの形で残すことで、この両方の話を結びつけ、「天の原の月」と「竈神」が同一人物であることを示しているのである。
一方、解説部分では、「安倍仲麻呂はこの歌の作者ではなく、古くから伝わる歌を中国の人たちに披露した」とする。この解説によって、この月は遣唐使の時代の月ではなく、ホツマツタヱに記される神代の月であると念を押している。また、この歌を「喜びもあり、悲しみもある時に詠む」とするのは、この時のシラタマ姫の複雑な心境を思ってのことであろう。そして最後に、「古代の歌が中国で披露された」という設定自体、この歌が「中国生まれの姫の日本での事績を伝える歌」であることを示す暗号になっているものと考えられる。


竹取物語(成立年代不明)

【準備中】


伊勢物語(成立年代不明)

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拾遺和歌集(1005-07年)

吹く風に あらそひかねて あしひきの 山の桜は ほころひにけり(拾遺和歌集39 よみ人知らず)
政変の中で(吹く風に)勢力を盛り返すことができず(あらそひかねて)、アマノコヤネの系譜を盟主とする連合同盟の一角を占めていた(あしひきの山の)ホノススミ(桜)はついに排除された(ほころひにけり)。

夕されば 佐保の河原の 川霧に 友まどはせる 千鳥なくなり(拾遺和歌集238 紀友則)
春日オシクモ(霧=桐)の連合相手が、山陰王から(夕去れば)大丹生(佐保の河原)にいた天孫ウカヤに変わり(千鳥鳴く)、同盟国(友)は困惑した(まどはせる)。

久方の つきのきぬをは きたれとも ひかりはそはぬ わか身なりけり(拾遺和歌集7-422 藤原輔相)
〔カンタチは〕春日アマノコヤネの娘フトミミと結婚したものの、春日の次代の連合相手には選ばれなかったので、トカクシと連合を組むことになったのだ。≫考察記事①


後拾遺和歌集(1086年)

かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを(後拾遺和歌集612 藤原実方朝臣)
四国の深い谷沿い(遠谷)の舟運拠点(江屋)にトカクシ(さし)は配流されていたが、後にイフキトヌシ(いぶき)も同じ場所に配流されることになるとはトカクシも思いもしなかっただろう。イフキトヌシの同盟復帰への強い思いも、噴煙を上げ続けていた伊吹(九重山)がついに爆発的に噴火するなどということも。≫考察記事


詞花和歌集(1151-52年)

ひさかたの あまのかぐ山 いづる日も わが方にこそ ひかりさすらめ(詞花和歌集10-379 崇徳院)
アマノコヤネの都を見下ろす大山(天の香具山)の麓に都を置いて日高見の正統な後継者を名乗ったカンタチ(いづる日)によって、アマノコヤネの系譜・春日(光)はトカクシの本拠地・吉備高島(前漢鏡が出土した佐賀県武雄市・椛島山遺跡に比定)のある(わが方)有明海沿岸の大和(佐賀市大和町)に配流された(さすらめ)。≫考察記事