ホツマツタヱ暗号一覧

【随時更新中】


これを他所よそにて 船割れて 竜とみつちの 力得て これ誤れる テニオハぞ
「鴨」は船の種類(鰐、鴨、亀)のひとつと記されるが、「鰐」も「鴨」も「亀」も(「船」さえも)、特定の系譜の隠語であるので、「鴨」を「船」と誤ったら隠文解釈ができなくなると警告している。ホツマツタヱが隠語・隠文による暗号書であることの宣言とも受け取れる。≫考察記事

磯の真砂は 岩となる
河川の河口の砂州(磯の真砂)が閉じることによって形成される潟湖に依存して砂州の盛衰に左右されるのではなく、河川の中流域(岩)に安定した拠点を設けることを指すか。日高見(遠賀地方)や葦原中国(有明海沿岸)が砂州の流出や火山津波の被害などによって移住を余儀なくされたことと関連していると考える。

01 東西きつの名と 穂虫去るあや

それワカは ワカ姫の神 捨てられて 拾たと育つ カナサキの 妻の乳を得て
ワカ姫が3穂(2歳)の時にカナサキの娘ハヤアキツ姫が生まれたことを示す。≫三歳慈くに

天地あわの敬ひ 桃に雛 菖蒲あやめちまき 七夕や 菊栗祝ひ
アマノコヤネ(淡)はアマテルを敬い、先住王は渡来王(天)も在来王(地)もアマノコヤネを盟主として認めた(敬い)ため、新海洋王サルタヒコ(桃)と先住海洋王オオトシの娘ウズメ(雛)、サルタヒコの娘ウケステメ(菖蒲)と在来海洋王アマツヒコネ(粽)、アマノコヤネとタカ姫(七夕)の婚姻と、アマノコヤネの娘シラタマ姫(菊)と山陰王ミホヒコ(栗)の婚約(祝ひ)が成立した。

天地歌あわうた
四十八音の天地歌は、後世のいろは歌と同様、すべての表音文字を一つの歌に詠んだものだが、その音の順序は、女王40人の合計48回の即位の順序を知らせる暗号になっている。≫考察記事
:オモイカネ・ワカ姫 ※アチヒコ(オモイカネの諱)
:タカキネ・ハヤアキツ姫 ※タカキネ
:ソサノヲ・ハヤコ ※ハヤコ
:ソサノヲ・ハヤコ〔イナタ姫〕【復縁】 ※イナタ
:カグヤマツミ・タキコ ※カグヤマ    
:オオナムチ・タケコ ※出雲
:タケミカツチ・ヒメ ※カナサキ
:アマテル・セオリツ姫 ※ウヒルギ(アマテルの幼名)
:アメワカヒコ・タカ姫 ※ニフ? 
:タカヒコネ・オクラ姫 ※オクラ姫 ※アユミテル姫(オクラ姫の別名)
:クシヒコ・ミホツ姫 ※日高見魚君
:オシホミミ・タクハタチチ姫 ※タクハタ
:イフキトヌシ・タナコ ※イフキト
:フツヌシ・アサカ姫 ※フツヌシ
:アマノコヤネ・タカ姫 ※ヒメカミ(タカ姫の別名)(メ→む)?
:サルタヒコ・ウズメ ※クヱヒコ(ツエ)
:アマツヒコネ・ウケステメ ※ウケステメ
:ホノアカリ・スガタ姫 ◆
:ニニキネ・アシツ姫 ※ニニキネ
:ホノアカリ・アメミチ姫 ※アメミチ
:ミホヒコ・シラタマ姫 ※オキツヒコに融合される人物のひとり
:アマノコヤネ・タカ姫【復縁】 ※コヤネ
:ミホヒコ・スガタ姫〔イクタマヨリ姫〕 ※ミホヒコ
:ホノアカリ・タマネ姫 ※ホノアカリ
:タカヒコネ・アメミチ姫〔ヨト姫〕 ※アメミチ(メ→も)?
:ツミハ・ハツセ姫〔タマクシ姫〕 ※遠国トクニに配流
:ホオテミ・トヨタマ姫 ◆
:タケスミ・イソヨリ姫 ※イソヨリ
:ニニキネ・トヨタマ姫 ※トヨタマ
:カンタチ・フトミミ ※「ソヲのフナツのフトミミ」
:オシクモ・モトメ ※モトメ(ト→て)?
:トカクシ・アサ姫 ※「蟇目鏑ひきめかふら(ら→れ)」?
:ホノススミ・スセリ姫 ※スセリ
:カゴヤマ・オトタマ姫 ※「住江スミヱ
:イナイイ・タマヨリ姫 ※鶴(シラタマ姫の系譜)
:ホオテミ・ミハオリ姫 ※「織る錦」
:ニギハヤヒ・ミカシヤ姫 ※兄ナガスネヒコ
:ウカヤ・ヤセ姫 ※「アソ姫ユナに奉る」
:フキネ・サシクニワカ姫 ◆
:シイネツヒコ・ミチツル姫 ※ミチツル
:ウマシマチ・タマヨリ姫 ※タマヨリ
:ミケイリ・ヤセ姫 ※ヤセ(セ→し)?
:アメタネコ・ウサコ姫 ※ウサコ(ウ→ゐ)?
:クシミカタマ・ミラ姫 ※クシミカタマ
:タケヒト・アヒラツ姫 ※アヒラツ
:クロハヤ・イヒカリ姫 ※「西の海 ざらり虫去り」
:アタツクシネ・ミススヨリ姫 ※ミススヨリ(ヨ→や)?
:(タケヒト・タタライソスス姫 ※イハワレヒコ(タケヒトの別名))
49番目の即位:タカクラシタ・イスキヨリ姫〔ユリ姫〕

宮の後ろを 北と言ふ
九州側から見て宮津(北九州地方)の後ろ側(西山陰地方)を「北=根」という。≫考察記事

木は東 花葉は南 の実西 身を分けふる の実故 キミは男女神をめかみ
【再検討中】

ムカツ姫 急ぎ東方に 行きひらき 田のに立ちて … 扇ぐ … 西の海 … 虫去り
ワカ姫の血統を引く王族が配流された四国と、オオナムチの津軽大元宮(天日宮)の前宮である玉津宮(大分県豊後高田市玉津)に共通する「東側にあって西に海がある」という特徴で、二つの場所について知らせている。

押し草に 扇ぐワカ姫 歌詠みて 祓いたまえば虫飛び去りて 西の海若やぎ蘇るぬばたまの 夜の糧を得る 御宝 … 枯れたる稲の 若返る
配流された四国(押し草、ぬばたまの夜)からイヒカリ姫(虫)が九州に渡り(西の海)、ワカ姫の血統を継承するタタライソスス姫が生まれた(蘇る、御宝、枯れたる稲の若返る)。

ワカ姫 歌詠みて 祓いたまえば 虫去るを ムカツ姫より この歌を 三十女みそめ右左まてに 佇ませ 各々ともに 歌わしむ 稲虫祓ふ ワカのまじな田根たね畑根はたね 大麦小麦うむすき盛豆さかめ まめ小豆すめらの 繁葉そろはめそ 虫も皆締む 繰り返し 三百六十歌ひ とよませば
タタライソスス姫(ワカ姫)がタケヒト(ムカツ姫)と婚約することで、イヒカリ姫(虫)を女王に擁立していたニギハヤヒの一族が配流され(虫去る)、ついに初代神武天皇が即位した。ワカ姫とセオリツ姫と渡来系女王8人を除く30人の女王(三十女)が擁立され、再婚を含めると36回(三百六十)即位した(歌い響ませば)。呪い歌の三十二音は一人ひとりの女王と対応していて、しかも渡来系女王(【 】で示す)も組み込まれている。≫考察記事
:タケコ〔オキツシマ姫〕
:アサカ姫〔ヒメ〕 ※夫アマノコヤネ(偽装)⇒ね 【タマネ姫】
:ハヤコ〔クシイナタ姫〕
:タカ姫
:ミチツル姫 ※夫シイネツヒコ⇒ね
:ウサコ姫
:イヒカリ姫 ※タマクシ姫の孫。玉⇒む 【トヨタマ姫】※玉⇒む
:スセリ姫
:タキコ〔ヱノシマ姫〕
:アサ姫
:ワカ姫
:アメミチ姫〔ヨト姫〕
:ミカシヤ姫 ※ミ⇒ま(カの母音)
:ハヤアキツ姫 ※夫は在来王⇒め 【ウズメ】※渡来王の娘⇒め
:イスキヨリ姫〔ユリ姫〕
:ミホツ姫 ※夫は在来王⇒め 【ウケステメ】※渡来王の娘⇒め
:アヒラツ姫
:セオリツ姫 ※諱ホノコ⇒の
:タクハタチチ姫 ※夫オシホミミ⇒し⇒そ(オの母音)【イソヨリ姫】
:オクラ姫 ※ラ⇒ろ(オの母音)
:ミハオリ姫
:モトメ
:フトミミ ※フ⇒は
:ヒメ ※夫は在来王⇒め 【シラタマ姫】※渡来王の娘⇒め
:ヤセ姫〔アソツ姫〕 ※アソツ姫⇒そ
:スガタ姫〔イクタマヨリ姫〕 ※玉⇒む 【オトタマ姫】※玉⇒む
:アシツ姫
:ミススヨリ姫 ※ミ⇒も(ヨの母音)
:ミラ姫
:タナコ
:サシクニワカ姫
:ハツセ姫〔タマクシ姫〕 ※玉⇒む 【タマヨリ姫】 ※玉⇒む

造れば休む 天日宮を 国懸くにかけとなす
天日宮は、オオナムチの配流のために作られた(造れば休む)津軽大元宮。「国懸」とはその後、新羅との連合を組んだ時の都となったことを示す。

長き夜の とおの眠りの みな目覚め 波乗り船の 音の良きかな
「夜」は四国の隠語、「とお」も「遠国トクニ」のことなら四国。そこで「長い眠りから目覚めた」のは配流されていた王。「みな」とあるので、クシミカタマとタカクラシタ。これが住吉の回り歌であることから、タカクラシタが住吉の後継者として九州に招かれたことを示している。
風激しくて 波立つを 打ち返さじと:「風」は政変の隠語。トカクシの政変を鎮圧するために四国からクシミカタマとタカクラシタを九州に呼び出した。
風やみ船は 快く 阿波に着くなり:「風」は政変の隠語。トカクシの政変を鎮圧したクシミカタマの事績。阿波は淡路のことで、糸島市の三雲南小路遺跡に比定。
カナサキが 船乗り受けて 夫婦なるなり:タカキネとハヤアキツ姫の婚姻のこと。
安河の 下照姫と:大王位オモイカネの居場所について知らせる。

その押し草は ぬばたまの 花はほのほの 烏葉の
「ぬばたまの花はほのほの」の多義性を利用して3つの婚姻について伝えている。
①「ぬばたま(四国)の花(后)はほのほの(日高見)」という解釈。この記事の主役である四国王オモイカネと日高見の姫ワカ姫の結婚(前265年)を表す。
②「ぬばたまの花(四国の姫)はほのほの(日高見)」という解釈。四国王傍系サクラウチの娘セオリツ姫と、日高見王トヨウケの再婚によって生まれた待望の男子タカキネの子アマツヒコネの婚姻(前247年)を示す。
③「ぬばたまの花(菖蒲=漢女)はほのほの(日高見)」という解釈。前214年にサルタヒコの娘ウケステメがアマツヒコネと再婚したことを伝える。
その押草は~烏葉の:「草」は配流の隠語、「烏葉」は「烏の傍系」という意味ととれる。上記②のセオリツ姫とアマツヒコネの婚姻は四国王傍系の山陰進出を企図したものだったため、山陰勢力との全面戦争を招いた。アマツヒコネは撤退を余儀なくされ、さらにはその罪を問われてアマツヒコネの母方の祖父、住吉カナサキは対馬へ、アマツヒコネは壱岐に配流された。「押し草」とは、山陰から押し返されて本来の支配地に幽閉されたことを表している。

赤きは日の出 檜扇の 板もて作る 扇して 国守り治む 教え種 烏扇は 十二葉なり 檜扇の葉は みな祓ふ
ワカ姫と四国王オモイカネの正統な継承者とみなされたクシミカタマ(檜扇ひあふきの葉)が、ホノススミ、トカクシ、ナガスネヒコら四国王傍系(烏扇の十二葉)をすべて追放した(みな祓う)。≫考察記事
【檜扇】〔正統四国王の系統〕
オモイカネ~タチカラヲ~イワマド~(ツミハ)~クシミカタマ
【烏扇】〔非正統四国王の諸系統〕
ホノススミ〔烏〕 ※「招けば烏八つ来たる」
サクラウチ~イフキトヌシ~イヨツヒコ~トサツヒコ~ナガスネヒコ ※ハツセ姫に対抗してアメミチ姫を擁立したフトタマはイフキトヌシ
タケスミ〔八咫烏〕 ※「その返に みちみの桃を 賜れば」
ツミハ~トカクシ~ミチヲミ ※トカクシは桃太郎
タケフツ~タカクラシタ ※「先にツミハと タケフツと 伊吹の宮に 二十四県 して治めしむ」「遠国より 筑紫三十二も … 巡り治めて」

敷島のに 人生まれ 三十一日には三十二 歌の数以て に応ふ これ敷島の ワカの道かな
「40人の女王に擁立された男王40人」のうち、「九州出自(敷島の上に人生まれ)の32人の女王に擁立された男王は31人」であるという意味。「歌の数以て」は、天地歌が示す女王の48回の即位を示す。≫考察記事

02 天七代 床酒とこみきあや

【天地開闢】

いにしえの 天地あめつちうひきわ無きに
「天」は九州王権の盟主となった新渡来王アマノコヤネ、「地」は山陰と四国の王、「泥」はアマノコヤネが渡来する前に九州の王だった旧渡来王ウヒチニの系譜(ウヒチニ~アワナギ~イサナギ~アマテル)のことである。その「際が無かった」というのは、盟主と山陰王、九州王と四国王の二連合体制になったのはアマノコヤネが渡来してからだという意味。≫考察記事

アウの女男
最初の女王連合の女王と男王、スヒチとウヒチニのこと。「アウ」は日本書紀が「陰陽」と解釈しているが、隠語としては「ア」は「あちら側」の「あ」で九州の隣国のこと、「ウ」はウヒチニ。ウヒチニとスヒチの結婚は、九州の王族と隣国・四国(ス)の王族との連合を意味していた。≫考察記事

男は天と成り 日輪ひのわ成る
ウヒチニの子孫はその後九州王(天)となり、アマテルの孫(天孫)の代で、男系が断絶した在来九州王・日高見の系譜を統合(日輪)した。いわゆる「天津日嗣」と言われる、渡来九州王(天)でありながら在来九州王の正統な継承者(日嗣)でもあるという地位を得たのである。≫考察記事

女はつちと成り 月と成る
女子スヒチの女系子孫は、在来王族(地)の象徴として九州連合同盟の中核をなす女王(月)となった。≫考察記事

神その中に 在れまして
「神」はミナカヌシとアマノコヤネが融合されている。≫考察記事

国常立の 常世国
「国常立」とは盟主、「常世国」とは外国のこと。ミナカヌシとアマノコヤネの両者が外国から渡来した王であることを示している。特に、アマノコヤネの場合は一度中国に帰国しているので、そのことを伝えているとみる。≫考察記事

八方八降りの 御子生みて 皆その国を 治めしむ これ国君の 始めなり
その一時帰国したアマノコヤネが再渡来して、八つの王族の上に立つ盟主となったことを示している。≫考察記事

世継ぎの神は クニサツチ サキリの道を 受けざれば サツチに治む
「サキリ」とは「サ切り」で、王族不在の地を開拓すること、「サツチ」は「サ土」で、在来王族の地をさす。ミナカヌシもアマノコヤネも2代目で王族不在の地から、連合相手の支配地に移動し、連合相手をその場所から追いやることになった。≫考察記事

八方の世継ぎは トヨクンヌ
福岡平野(箱国)からハコクニの一族を豊前海沿岸に追い出したミナカヌシの一族が、3代トヨクンヌの時にはすでに北九州(豊国)を支配していたということを示す一方、春日の3代目は北九州を本拠としていた住吉の7代後継者ミケイリであり、八王族(八方)の一つだったことを示している。≫考察記事

天より三つの わざを分け 君臣民の 三降りの 神…
渡来王族(天)と海洋王族(水の業)を区別し、渡来王嫡系(君)、傍系(臣)、海洋王(民)の身分を明確にした。

天なる道は 女もあらず 三代治まる
ミナカヌシの一族は3代王まで女王連合に加わらず、4代王オモタルの時についに女王連合に加わったことを表す。

ウヒチニ・スヒチ
ウヒチニが女王連合の最初の「君」になったことを知らせている。
木の実を持ちてあれませば:越国の王と婚約する予定の女王の資格をもった女子が生まれた。
歳後とせのち 弥生やよいの三日みか花も実も百なる:当時は3穂(数え2歳)で最初の通過儀礼があったことを伝えている。この時はそこで婚約したようである。天岩戸神話におけるウズメは、7穂(数え4歳)の「紐解き」の際に婚約した。万葉集の暗号にあるシラタマ姫の場合は、二倍年歴ではなく数え7歳で「紐解き」の儀式を行い、その時に婚約したように記されている。この女子3穂と7穂の通過儀礼が七五三として後世に伝わったとみる。
人成る後に:男王と女王のうち、年少であるほうの元服と同時に結婚し、即位したことを示す。当時の元服が28穂(数え14歳半)であったことは、アマテル即位の記事によって示されている。

七代目を継ぐ糸口は(02)
イサナギをミナカヌシから数えて7代目とするのは偽装である。
ウヒチニはアメカガミの子のようにも読めるが、別系統とも読める。
木の実東に植えて箱国ハコクニとは福岡平野のことであり、「木の実を東に植えた」とは、福岡平野に渡来したミナカヌシと、北東部九州の先住王族タカミムスビとの間の婚姻を指すものと考える。
アワサク生めば:「アワナギがサクナギを生んだ」と読んで「アワナギの娘がサクナギと結婚した」と解釈するのが妥当と考える。サクナギとクラキネを同一人物とみて、ココリ姫の夫とみなす。

03 ひめ三男みを 生む殿のあや

三歳慈くに 足らざれど 磐樟船に 乗せ棄つる 翁拾たと 西殿に 養たせば…
ワカ姫が3穂(2歳)の時に、ハヤアキツ姫が生まれたことを示す。≫それワカは

身を分けふる 木の実故 キミは男女神をめかみ
正当な王位継承権を持つものだけが女王連合に加わることができ、女王と結婚したものだけが「君」を名乗ることができる、という意味。「木の実」は王位継承権のこと。

ヒルコ誕生(03)
ワカ姫(ヒルコ)が生まれたのはイサナギ40穂、イサナミ31穂の時である。

04 日の神の みつ御名のあや

嘆くトヨケの(04)
トヨケの再婚(禊)に関する一節である。「二十一の鈴の 年すでに 百二十もふそよろ七千なち五百二十ゐもふそ」は「神代の年数」の換算により146穂(146.366060…)であり、初代女王スヒチ即位のキアヱ(前322年)から146穂目の二十五鈴ヲアト(前250年)を指す。しかし、アマテル誕生が前277年であることと矛盾するので、これは十鈴ずらした偽装であり、本当は86穂目の十五鈴ヲアト(前280年)であると考えられる。

アマテル誕生(04)
前277年に比定されるキシヱは、イサナミ即位のヲアトの2年半後であり、ヒヨルコ流産とワカ姫誕生をはさんだ期間として自然である。

05 ワカの枕言葉のあや

あしびきの(05)
後淡宮に 詔 導きの歌 淡君よ 別れ惜しくど 妻送る 夫は行かず 行けば恥 醜女に追わす 良し悪しを 知れば足引く 黄泉坂 言立ち避くる 器あり:アマノコヤネ(淡君)は再度大王になるために九州に行くことを「恥」だと考えていたが、娘シラタマ姫だけを九州に置いておく(醜女に追わす)のはよくないと考えて、前言を撤回して(言立ち避くる器あり)自ら九州に戻ってきた。「あしびきの山」とは「アマノコヤネが再渡来した九州」という意味であろう。
禊に民の調いて:「禊」は再婚の隠語であるから、アマノコヤネは再渡来後に改めてタカ姫を10代女王に擁立し大王に再即位したことを表している。

06 日の神 十二后そふきさきの文

十二后そふきさき(06)
アマテルの十二人の后(十三人目のウリフ姫含む)を装って、女王を中心とした暗号を組み込む。
③オオミヤミチコ:ウズメ。稲荷三神のオオミヤノメ。ウカノミタマは父オオトシ、サタヒコは夫サルタヒコである。「道」は海洋王の隠語で、ミチヲミはウズメの孫にあたる。※アメミチ姫はフツヌシの孫
⑤セオリツホノコ:ホの子のホは東北の意で、八島の吉備子、すなわち向国(向津具半島)のこと。セオリツ姫にはムカツ姫という別名があるが、アマツヒコネと婚約して向国の女王に即位した時の名である。
⑥ワカ姫ハナコ:ミカサフミがワカサクラ姫と補完する。佐久地方が火山被害に遭ったことを伝えるために人格化された。
⑧宗像がオリハタオサコ:オサコはタケコと同義で長女の意。織姫彦星の織姫はタケコの娘である。
⑩糟屋のイロノヱアサコ:アサ姫と糟屋を結びつける暗号か。
⑪カダがアチコ:カダとは九州外の同盟国(山陰や四国北西部の国)のこと。アチヒコ(オモイカネ)が四国の王であることを伝える。
⑫筑波葉山のソガ姫:スガタ姫。ソサノヲ嫡系のホノススミ・スガタ姫の兄妹が筑波にいたことを伝える暗号。「ソガ」と「スガ」は類音関係。
⑬カナヤマヒコがウリフ姫ナカコ:ハヤコ。復権後にイナタ姫と名を変えて、男子の双子(アメワカヒコとタカヒコネ)を生んだ。

素直なる セオリツ姫の 雅には 君も刻橋 踏み降りて(06)
息子の婚約者と再婚したアマテルとセオリツ姫の年の差を伝えているとみる。セオリツ姫は元服の28穂(14歳半)、アマテルはその時72穂(36歳半)であった。

07 遺し文 さがをたつ文

諸守の サカを断つ時 細矛より ツハモノヌシが 香具宮に 雉子飛ばせて
ツハモノヌシ(イフキトヌシ)が三つ子の末子タナコを娶った。※細矛は当時のイフキトヌシの居場所を知らせるための暗号とみる。山田(玖珠盆地)か。

益人が 民のサシミメ 妻となす クラ姫生めば 慈しみ 兄のコクミを 子の如く 細矛千足の 益人や 今は副なり
クラキネ(サクナギ)がアカツチの娘サシミメを後妻に迎えてクラ姫(ハヤコ)をもうけた。ハヤコの兄コクミ(サクラウチ)を嫡男のように扱って、千足(浜田市下府町)の王とした。

クラキネが 罷れる時に シラヒトを 根の益人に クラコ姫 身を立山に 納む後
クラキネ(サクナギ)の一族が配流されて、シラヒト(ソサノヲ)がハヤコと結婚して根の国王となった。クラキネ一族の配流先は立山(愛媛県内子町立山)。

母子を捨てて 西に送る コクミ母子を 犯す罪 カンサヒこれを 正さねば 臣これを乞ふ
クラキネの前妻ココリ姫とその娘モチコは、肥根国(福岡県糸島市二丈吉井)に配流された。

コクミ母子を 犯す罪 カンサヒこれを 正さねば
コクミ(サクラウチ)は異母姉のモチコと結婚する予定であり、カンサヒ(オモイカネ)も異母妹であるハヤコと結婚する予定だった。※「母子」とは「母の子=兄弟姉妹」という意味とみる。

ミハタより 小男鹿に召す カンサヒと
日高見(ミ端)からタカキネの連合相手としてオモイカネが指名された。

コクミ母子と 高天にて カナサキ問わく コクミ言ふ サシメは真 我が妻よ 君去りますの 璽あり また問ふ汝 何人ぞ 民と言ふにぞ 雄叫びて 獣に劣る 罪人ぞ サシメ捧ぐる 所縁にて 益人となる 御恵みの 君なり母よ
コクミ(サクラウチ)とサシメ(モチコ。母ココリ姫とともに西に送られてサシの姫になった)との結婚は破談になり、モチコはアマテルの后になった。

根国の シラヒトを召す 高天にて カナサキ問わく 母を捨て 妻去る如何 答え言ふ 己は去らず 母よりぞ 家棄て出づる 姫もまた またもとを問ふ 答え言ふ 代々の臣ゆえ 如せなり
シラヒト(ソサノヲ)の母イサナミの異母妹にあたるワカ姫と婚約していたが、その結婚は先方の都合で破談になった。その後結婚した妻ハヤコも配流されてしまった。なぜならソサノヲは第二子であり、大王位継承権がなかったからである。

母は民の女 進めてぞ 君の妻なり 御恵み 何忘れんと ゐゐ流す カンミムスビの 叱りてぞ 汝飾りて 惑わすや 我よく知れり 友を越え 力を貸して 母が上げ 政授けて 事成すを
義母サシミメは海洋王アカツチの女子であったが、クラキネ(サクナギ)の妻となった。サクナギが他の連合候補を差し置いてココリ姫と結婚して大王に即位できたのは、アカツチの援助があったからである。※実母イサナミは日高見(タミ)トヨウケの女子であったが、イサナギの妻となった、ということも掛けているとみる。

母に慕えば 姫が生む 隠さんために 流し遣り
ハヤコの生んだ三姫は母サシミメと同じ場所(宇佐、福岡県鞍手町)に配流された。

民の目奪い 力貸す
アカツチは、クラキネ(サクナギ)がトヨウケ(タミ)の前妻との子ヤソキネの大王即位を阻止するのを手助けした。

イサナギは 政れど弟の クラキネは 政らず
コクミ問題(近親婚による根と千足の二国支配)によってクラキネの大王位は剥奪された。

モチが クラ姫を カンサヒの子の アメオシヒ 娶わせ典侍が 兄となし 父益人の 政継ぐ
アマテル(カンサヒ=盟主)とモチコの子アメオシヒ(ホヒ)をクラ姫(ハヤコ)と婚姻させ、セオリツ姫(南の典侍)の兄(サクラウチの子イフキトヌシ)を連合相手として、大王に即位させようとした。

シラヒトコクミ この祝ひ なかばを得て さすらひの 氷川に遣るを 益人の 我が臣となす
シラヒト(ソサノヲ)とサクラウチ(コクミ)はどちらも「サ」の女子を妻にして子をなした。ソサノヲはハヤコを娶り三姫をもうけ、サクラウチはイヨツ姫を娶ってイフキトヌシとセオリツ姫をもうけた。両者ともそのことを問題とされて、ソサノヲは日田盆地に、サクラウチは玖珠盆地に配流された。ソサノヲはその後オオナムチの連合相手となり、サクラウチはアマツヒコネの連合相手となった。

ソサノヲは これ調いて 真那井なる 神に詣でる その中に 手弱女たおやめあれば これを問う 侍女まかたち答ふ アカツチが ハヤスフ姫と 聞こし召し 雉を飛ばせて 父に請う アカツチ宮に 嫁がんと 言えど宮無く 大内の 折々宿る の局
ソサノヲはトヨウケ(真那井なる神)の娘ワカ姫と婚約していたが、コクミ事件を受けてワカ姫が急遽オモイカネと結婚することになり、アカツチの娘ハヤコ(ハヤスフ姫)に結婚相手が変更された。しかしその結婚も直前になってコクミ(サクラウチ)がイヨツ姫と結婚しイフキトヌシが誕生したことにより、ハヤコも謹慎処分となって取り止めになった。

姉妹ゑと休めとて 内宮の トヨ姫召せば 北の局 下がり嘆けば ソサノヲが 堪えかねてぞ 剣持ち 行くをハヤコが 押しとどめ 功ならば 天が下 
ハヤコに代わってカナサキの娘トヨ姫(ここではハヤアキツ姫のこと)が女王に擁立されて、タカキネが大王に即位した。ソサノヲはハヤコの配流期間が満了するのを待たずに結婚したが、そのことが問題となって自らも配流された。

ハナコ来たれば 矛隠す 見ぬ顔すれど 内に告げ ある日高天の 御幸後 モチコハヤコを 内に召す 日にムカツ姫 宣うは 汝ら姉妹が 御食冷えて 筑紫に遣れば 噤みおれ
蘇山の大噴火(ハナコ)が再び起こり、クラキネの一族が配流されていた四国地方が深刻な被害を受け(御食冷える)、九州の玖珠盆地に受け入れることになった。

タナキネは取る 男は父に 女は母につく 三姫子も 共に下りて ひたしませ 必ず待てよ 時ありと むべ懇ろに 諭されて 筑紫アカツチ これを受け 宇佐の宮居を 改めて モチコハヤコは 新局 置けば怒りて ひたしせず 内に告ぐれば トヨ姫に ひたし奉らし 流離なす 二流離姫 憤り 氷川に怒り 成る大蛇おろち 世にわだかまり コクミらも 仕えてシムを 奪ひ蝕む
ホヒはアマテルのもとにいたが、三姫はハヤコのもとにいた。しかし、この時、ワカ姫にもハヤアキツ姫(トヨ姫)にも女子がなかったため、ハヤアキツ姫の女王位を継承する女王候補として、三姫はアカツチが宇佐(福岡県鞍手町)で養育することになった。モチコとハヤコは玖珠盆地に配流され、モチコはそこで再び謀反を起こすことになる。その謀反は同族のイフキトヌシによって鎮圧された。

常世の踊り・姦踊り(7)
アマノコヤネが渡来し、タカ姫と再婚して、九州に留まったことを知らせている。
※天岩戸神話の一部であるが、時系列が偽装されている。皆既日食は前227年、アマノコヤネ渡来は前219年。記紀が天岩戸神話に人物としてアマノコヤネを登場させるのは、この暗号を補完するためである。
常世の踊り(男鶏):渡来王アマノコヤネ ※常世は九州王権の外側のこと、鳥は九州王権以外の王権、男鳥でその男王。鳥の中でも鶏はアマノコヤネ(の系譜)の隠語で、万葉集では漢字の使い分けによって明示されている。ホツマツタヱには「にわとり」の用例はひとつしかなく、「とり」が山陰王権とアマノコヤネの両方に用いられている
長咲き:渡来王が九州にとどまって権威を維持すること
俳優わざおき(業沖)歌う:渡来王(沖)オオトシの娘ウズメが海洋王(業)サルタヒコがウズメと結婚したこと 
かぐの木枯れても匂ゆ:アメワカヒコを亡くしたタカ姫の女王位は依然として有効であること
萎れても:再婚であってもかまわない
が妻あわ:私の妻は淡(佐賀県嬉野市塩田町周辺)にいる
姦踊かしまと(西洲鶏、鹿島取り):中国(九州から見た西の国)の王、タケミカツチの支配地・鹿島(北部九州から見た西の国、有明海西岸)の地に本拠を置いた。 ※八方位表現で「カ」は西であり、東は「キ」である。中国から見れば九州は東の国であるため、アマノコヤネから見た有明海西岸は「東の島」であり、鹿島を奪って杵島としたことになる。現在杵島地名と鹿島地名が並んで存在するのはその名残である。 ≫民間伝承「鹿島踊り」

天岩戸(07)
オシホミミの即位を受けてアマテルが岩室(大分県玖珠町岩室)に籠った直後に皆既日食が起こったことが、政変につながったことを示す。
オモイカネが考え、ツハモノヌシが祈る:タチカラヲ(父オモイカネとするのは偽装)が考え、イフキトヌシ(ツハモノヌシ)が祈った。すなわち、この二人がこの政変の収拾を主導した。
オモイカネが子に問う:オモイカネがすでにこの世になく、タチカラヲの代に移っていたことを示す。時系列が錯綜しているが、オシホミミ即位時にはオモイカネは崩御していることが「阿智神」の一節に記されている。さらに、古事記が天孫降臨説話で「常世思金神」として補完的な暗号を組み込んでいる。
ウズメが踊る:オクラ姫に代わる女王候補であるオオトシの娘ウズメの立太女を示す。※ホツマツタヱでは、ウズメの「紐解き」はサルタヒコとの出会いの場面に移されており、アマテルの前ではウズメだけではなく諸守がにぎやかに踊ったことになっている。記紀はウズメの踊りを正しい位置に置き換えている。
ウズメの踊りにアマテルが微笑む:皆既日食をきっかけにした政変が、ウズメの立太女によって収拾される見通しが立った。
タチカラヲが岩戸を投げる:タチカラヲがタケミカツチとの連合を拒否したことを示す。≫「タチカラ吾子を招かんな
タチカラヲがアマテルを引き出す
ツハモノヌシが「な返りましそ」:イフキトヌシ(ツハモノヌシ)はオシホミミの外祖父であり、アマテルとは運命共同体であることから。

白山守(07)
ヤソキネとココリ姫が婚姻して白山守となったように記すが、白山守となった「おじとおば」は、「イサナミの兄ヤソキネとイサナギの妹ココリ姫」と読める一方で、「イサナギの妹ココリ姫とその夫サクナギ」と読むこともできる。「イサナギは 政れど弟の クラキネは 政らず」と続くことから、イサナギの弟クラナギは義弟であるサクナギのことである。ココリ姫は四国王サクナギを大王に擁立したが、このサクナギの大王即位が混乱を招いた、ということだ。
なお、古事記は「黄泉国神話」のイサナギとイサナミにヤソキネとココリ姫を融合して、両者の間に婚姻がなかったことを伝えている。≫古事記暗号「黄泉国神話」

08 玉返し ハタレ討つ文

節に当たれば(08)
アマツヒコネ元服に伴う立太子(=セオリツ姫の立太女)の時期を示す。
「二十三万二千三百八十二」は「神代の年数」の換算により28穂(28.2887272…)で、当時の元服年齢にあたる。
「二十四鈴を二十五鈴に」とする部分は、アマテル元服との関係から「二十五鈴を二十六鈴に」と修正され(一鈴前倒しの偽装)、アマツヒコネの元服は前247年(アマテル61穂)に比定できる。

ハルナハハミチ(08)
アマツヒコネとセオリツ姫は、サクナタリ(佐久の済=佐賀関半島)を出て日隅(大分県宇佐市)・日高見香具山下(京都平野)・二岩浦(山口県下関市豊北町・二見)を経て向国(向津具半島・王屋敷遺跡)に進出し、立太子・立太女を宣言した。
同行するハヤアキツ姫はアマツヒコネの母、イフキトヌシはセオリツ姫の兄弟であり、ソサノヲの子クマノクスヒ(アメワカヒコ)がここに登場するのはこの年に誕生したからである。そして、討伐の中心となるタチカラヲは連合相手国の次期大王である。

アメヱノミチ(08)
イフキトヌシが「神の奴でありながらなぜ御幸輿に乗っているのか」と聞かれて「お前を奴にするためだ」と答えるとハタタ神が鳴り巡った。
母親(住吉カナサキの娘)が女王でないアマツヒコネには王位継承権がなく、セオリツ姫の父サクラウチにも王位継承権がなかったため、この立太子・立太女は無効とされた。
この時、かつて住吉カナサキによって追放されたことがある宗像のフツヌシが山陰側についた(ハタタ神=祟り神)。

イソラミチ(08)
アマツヒコネ一行が安濃(島根県大田市)に到ったところで、オオナムチの助けを借りたフツヌシが攻勢に出て、一行を撤退に追い込んだ。
古事記は「黄泉国神話」を改変してこの部分の暗号とし、万葉集「響灘」にもその暗号を補完する暗号が組み込まれている。

神の民女に矢も立たず~神ミツハメを招く時炎消ゆれば(ハルナハハミチ)(08)
民女に矢も立たず:アマノコヤネ渡来時に海洋王連合の女王だったヒメ(民女)の女王位は認められなかった。
神ミツハメを招く:アマノコヤネは夫アメワカヒコを暗殺で失っていたタカ姫(ミツハメ)を女王に再即位させて結婚し、自らは大王となった。≫隠語「ミツハメ

なお猿と 大蛇おろちみつち 影あれば そそいで掃けぬ(08)
アマノコヤネによって、ツミハ(猿)、イナイイ(大蛇おろち)、イツセ(みつち)が追放されたことを示す。

猿去る沢に 起こる道かな(08)
イフキトヌシ(フトタマ)、フツヌシ(カグヤマ)、タケミカツチ(鹿島)が、アマノコヤネとサルタヒコの一時帰国中に起こした反乱によって、改めて女王連合から排除されたことを示す。

潮浴びて 映す鏡に(08)
「二見の岩に掛けた鏡は、荒潮に浸しても錆びずに今も残っている」という話と呼応しているが、暗号としては「有明海沿岸の潟湖の汽水化による塩害被害で、アマノコヤネが居場所を移した」ことを示している。

09 八雲打ち 琴つくる文

鏡の船(09)
「鏡の船」で渡来したのは鏡臣と記されるアマノコヤネである。
ホツマツタヱはアマノコヤネの渡来者としての事績をスクナヒコナの名で記している。
なお、代わりに名前を答えたクヱヒコはサルタヒコである。≫古事記「クヱヒコ」

琴の種類(09)
琴の種類と弦によって、当時存在した女王位の8つの血統を示している。
「十種宝」と相互補完の関係にある。
六弦琴むゆつこと:ワカ姫 ※明記
三筋みすぢの琴:タケコが三姫(三つ子)の長女だったことを指すか
五芒ゐすき打ち:タケコ ≫次項「五芒ゐすき打ち
八雲打ち:ハヤコ=イナタ姫 ※復権後のソサノヲの后
六筋むすぢの琴は ねふる 大蛇に六つの 弓弦ゆつかけて: モチコの廃位によってワカ姫が昇格したことを示す。
また、六筋で女王の六つの血統を示している。十種宝と呼応している ≫暗号「十種宝
かだタケコ~タカ姫 ※葛垣。タケコの夫がカダの子孫オオナムチであることから。
:タキコ ※フツヌシを蕗とした。日本書紀がフツヌシをフキネとするのはこの符牒を知らせるための暗号とみる。
:ウズメ ※「ウズメ身を奏でる」
茗荷めか:タケミカツチのヒメ ※「姫か」とみる
:セオリツ姫 ※十種宝の木葉玉
領巾ひれ:ミホツ姫~タクハタチチ姫 ※領巾は最高位女王位
※ワカ姫がモチコを縛った六弦であるから、ワカ姫とモチコは六弦には含まれない。

葛垣習ひ(09)
葛垣はタケコ~タカ姫に受け継がれた女王位であり、スクナヒコナ(アマノコヤネ)はタカ姫と結婚した、ということである。
ひな祭り:ひなはウヒチニとスヒチの符牒。アマノコヤネが山陰と連合を組んだことを示す。
加太カタの浦:和歌の国は美濃でもある。佐賀県嬉野市塩田町に美野地名、広谷地名あり。当地の丹生神社の祭神はミツハメ。≫次項参照

譲る琴の音(09)
タカ姫とオクラ姫の立太女。
タケコにはタカ姫とオクラ姫の姉妹が生まれたが、セオリツ姫には女子が生まれなかった。そこで、7代女王にはタケコの娘であるタカ姫とオクラ姫が擁立されることになった。
「ワカ姫がタカ姫とオクラ姫に琴を譲る」のは、セオリツ姫に女子がなかったことでサクラウチが失脚し、オモイカネ~タチカラヲ~トヨマドの一族が連合に復帰したことを示している。したがって、オクラ姫の婚約者はトヨマドである。

10 鹿島立ち 釣り鯛の文

オオナムチ満つれば欠くる(10)
タケコが元服して6代女王に即位し、山陰王オオナムチが大王に即位したことを示す。
アマテル40穂の「アマテル宮津から九州に帰る」が三姫誕生を意味するとすれば、アマテル67穂の当記事はタケコ元服(28穂=14歳半)にあたる。

ミホヒコとシラタマ姫の十八そやの姫(10)
ミホヒコとシラタマ姫の間には18人の女子がいたとされるが、もちろん偽装である。シラタマ姫の実子はイソヨリ姫ひとりであり、他の17人のうち、11人は実在さえしない。
実在する7人のうち、他の記事中に登場して何らかの事績が記されるのは、長女モトメ(ホオテミの典侍すけ(偽))、二女タマネ姫(原大君の妻(偽))、三女イソヨリ姫(ホオテミのうち(偽))、六女スセリ姫(ホノススミの妻)、十四女アサ姫(ツエの妻)の5人だけである。
残る2人の「実在」を示すのは姫の名を受ける終助詞である。七音の句の姫の名を受ける助詞には「と」「に」「や」の三種類があるが、五音の句でアサ姫につく「や」をとっているのは、五女ミハオリ姫と十一女ミチツル姫である。この「や」がミハオリ姫とミチツル姫が実在することを示す暗号となっているとみる。
なお、ミハオリ姫がホオテミの後妻であることは「織る錦小葵の御衣」、ミチツル姫がスセリ姫の娘であることは「満ち干の珠」の暗号が伝えている。
また、モトメ、アサ姫、ミハオリ姫、スセリ姫が、アメミチ姫(ヨト姫)とタカヒコネの女子であることは、古事記の「四つの鉤の呪文」の暗号が伝えている。

アメワカヒコの死(10)
宗像と対立していた住吉タケミカツチがアメワカヒコを暗殺した。
九州王権はタカキネとイフキトヌシ主導のもと、海洋王への不信感から、住吉タケミカツチを有明海の二荒(長崎県諫早市)に、宗像フツヌシを九州東岸の日高見香具山(京都平野)に追放した。
名無しの雉子:「名無し」は王位継承権がないことを示すが、具体的にはタケミカツチのことである。そのことは「タケミカツチの娘ヒメには名が無い」「カスガマロ(タケミカツチ)とフツヌシが因み合った浜には名が無い」といった逸話によって示されている。「雉子」はそのタケミカツチの娘ヒメのことである。
門の前 桂の末に ホロロ鳴く:門は新治宮(宗像平野)、桂は方壺(遠賀平野)。「ホロロ鳴く」はクシヒコの親(妻ミホツ姫の父タカキネ)に対してホロロと鳴いた人物と同一人物であることを示す。≫国譲り
アメワカヒコに名無しの雉子を殺すよう進言したサクメ:サクラの姫で、サクラウチの娘セオリツ姫のこと。タカ姫の廃位によってセオリツ姫の女王位が復活したことを示す。
タカキネが投げ返した矢がアメワカヒコに当たる:アメワカヒコは偽装でタカヒコネのこと。「返し矢畏る元折や」の解釈も含めて、「社拉げと」を参照。

アメワカヒコの葬儀(10)
アメワカヒコの死を受けて、イフキトヌシはタカヒコネを王としてオクラ姫を女王に即位させ、さらにタカ姫の女王位を廃位することでセオリツ姫の女王位を復活させた。
タカヒコネはアメワカヒコの双子の兄弟であり(瓜分け得ず)、タカ姫とオクラ姫も姉妹である。

鹿島立ち(10)
タケミカツチが大王に立ったことを示す。
フツヌシが優りて我は優らんや:オオナムチ即位(前244年)以来、宗像(フツヌシ)は九州政治の中心にいた。それに対して住吉はアマツヒコネ追放(前247年)後、政治の表舞台には立てずにいた。

国譲り(10)
タケミナカタ(タチカラヲ)との連合を破棄されたタケミカツチは、フツヌシと連合を組んでオオナムチとクシヒコ、タチカラヲを追放した。
タケミカツチの娘の女王擁立はタチカラヲ側に受け入れられず、タチカラヲはオオトシの子ウズメを擁立した。そのため、タケミカツチはフツヌシに連合を持ち掛けて、タチカラヲだけでなく、山陰勢力を九州から一掃した。チチ姫の母ミホツ姫が追放され、チチ姫の女王位も剥奪されたため、ウズメをオシホミミの女王に擁立した。
オオナムチが矛を置いていく:山陰勢力に与えられていた王位がなくなったことを示す。
なお、ウズメを女王に擁立したのが、オモイカネ~タチカラヲ~トヨマドの一族であったことは、古事記に暗号が組み込まれている(「天孫降臨:オモイカネ」)。
両親たらちねにホロロ鳴く:両親とはクシヒコの妻ミホツ姫の父タカキネのこと。クシヒコを追放した人物がアメワカヒコを暗殺した名無しの雉子と同一人物であることを示す。≫アメワカヒコの死

クシヒコとミホツ姫の婚姻
国女くにつめ取らば 疎からん」や「御孫を守り 奉れ」により、クシヒコとミホツ姫の結婚が女王連合を外から支えるためのものであったことが示される。≫クシマドとイワマド

オオナムチの津軽ツカル追放(10)
津軽は東側に海が広がる、阿蘇山の噴火被害からの復興地域である。大分県宇佐市に比定。

クシヒコの万木ヨロギ追放(10)
タカキネが決定権を持ち、追放時にミホツ姫を娶らせたように記すが偽装である。
配流地・万木の場所については次項参照。

11 三種譲り御受けの文

多賀国府(11)
この時にオシホミミの都・多賀国府が方壺に完成したとするが、同時にこの前年には移っていたとも記されるのは、これがタカヒコネの都・新治宮の完成を示しているからとみる。
オシホミミの元服に合わせ、タカキネの娘タクハタチチ姫を女王に擁立して大王に即位したのは、新治宮完成(アマテル101穂=前227年)の一穂前のアマテル100穂(前228年)である。

フツヌシとミカツチ常に侍りて~男鹿蓆を降りにけり(11)
オシホミミとチチ姫の婚姻、すなわちクシヒコとの連合と、フツヌシとタケミカツチの連合が並立している期間があったことを知らせているとみる。
男鹿蓆を降りにけり:タチカラヲ(タケミナカタ)が追放されたことを示す。
つまり、クシヒコの追放よりもタチカラヲの追放のほうが先だったということであろう。

勿来ナコソ(11)
カスガマロ(アマノコヤネのように偽装するが、タケミカツチ)がフツヌシと因み合った浜には名前がない。これは両者の連合で擁立された女王には王位継承権がないことを示している。
一方、フツノミタマ(フツヌシ)は「名こそ知る」とあって名前がある。これはフツヌシが女王タキコと結婚したからで、女王位継承権のないヒメがフツヌシの子タクリと結婚して生んだ子アメミチ姫には女王位継承権があることになる。
名こそ知るべゆ:この婚姻には名前があってしかるべき、つまり、自分の娘の女王の資格は認められるべきだ、という主張である。
なお、地名としての勿来は福岡県福津市勝浦に比定できる。

行き交ひ坂(11)
シマツウシ(タカヒコネ)とカスガマロ(アマノコヤネのように偽装するが、タケミカツチ)が、ヲバシリ(タケミカツチの父)の坂で行き会ったとして、タカヒコネとタケミカツチの交替を示している。
春にタカヒコネが須川(福岡県朝倉市)からホツマ(北東、新治宮、福岡県宗像市)に向かい、秋には西(二荒、長崎県諫早市)に向かう。それと入れ替わるようにタケミカツチがヲバシリの坂(御笠、福岡県太宰府周辺)から二荒に行き、秋には御笠に戻った。

黄金の花(11)
日の君と 宮守る烏 黄金吐く:アマテル(日の君)とオモイカネ(烏)の二大王を即位させた二女王並立制のこと。

砂子海子も 然々と 眺め違わず 黄金咲く(11)
砂子は砂、海子は貝殻で、土砂と貝殻からなる砂州のことを意味すると考える。二女王並立制(黄金の花)が正しい選択だったことを5代女王の時代には砂州が維持されたという事実によって示している。おそらく6代女王の時代に遠賀川河口の砂州が切れて下流域が塩水化したこととの対比であろう。アマノコヤネの質問にタカキネが答える形になっているのは、そのことに加えて、アマノコヤネが「陸の王の二女王並立制に加えて海洋王連合を独立させた三女王六男王制」を採用したことを間接的に伝えているものと考える。

12 アキツ姫 天形あまかつの文

13 ワカヒコ伊勢鈴鹿のあや

春日をなし(13)
オシホミミ即位時の体制を装って、アマノコヤネ大王即位時の体制が記されている。
をなし:大王即位。「春日衣をなし」とあるので、大王に即位したのはアマノコヤネである。
右・日高見大君うおきみ:クシヒコ(鯛は魚君うおきみ)、左のアマノコヤネの連合相手
軽君翁:オオナムチ(クシヒコの父)
香取上君:フツヌシ(大王は子タクリ、女王はタケミカツチのヒメ)
鹿島君:タケミカツチ
筑波:アメトマミ、アメワカヒコの国神との男子。スガタ姫と兄弟。
塩釜:タカヒコネ、オシホミミの連合相手。女王候補はアシツ姫。※シホカマは有明海のこと。≫日本書紀の暗号「熊鰐
※「天岩戸~国譲り」に登場する人物の中ではタチカラヲ(タケミナカタ)だけが復権を果たしていない。「やや人と成る諏訪守(15)」の一節は復権が遅れたことを示すか。

子を持てよ もし妻生まず 胤絶えば 妾女置きて 胤なせよ … 美しも 宮にな入れそ 天の原 月並ぶれば 国乱る 妻と妾と 屋に入れば 家を乱るぞ:嗣子が生まれなかったら連合相手の女王のほかに同盟国の中から後妻を迎えて嗣子を得よ。ただし、後妻を出した国に連合相手としての資格があったとしても(美しも)連合関係は変更されない。二つの国と同時に連合すること(月並ぶ)は同盟関係を乱すことになる。
※月はシラタマ姫、星はスガタ姫(イクタマヨリ姫)を想定している。
※シラタマ姫の異母弟オシクモが春日国に移った際に、ミホヒコとスガタ姫の子カンタチが安国宮に移ったことも知らせている。

シホカマ子無きとて(13)
タカヒコネに男子がなかったため、アメミチ姫と再婚したことを示す。
シホカマはタカヒコネの別名であり、続きに出てくる「たまゆら」もタカヒコネの符牒である。
神風かんかぜ」は婚姻の符牒であるから、男子がなかったタカヒコネとアメミチ姫の再婚を示す暗号である。海幸山幸説話の「ハテの神風かんかぜ」とも呼応している。

14 よつぎ宣言のとことの文

左は谷のサクラウチ(14)
アマツヒコネ大王擁立に失敗したセオリツ姫がアマテルと結婚し、あらためて6代女王に即位した時の連合体制を示す。
日島ヒノシマクシマドと月島ツキノシマイワマド:北東部九州(日)のクシヒコ(オオナムチと前妻との子)と筑紫(月)のイワマド(タチカラヲの子)。女王連合に含まれず、連合を外から支える存在とされている。クシヒコはタカキネの娘ミホツ姫を娶っていた。≫クシヒコとミホツ姫の婚姻
イクシマ・タルシマ:ソサノヲ嫡系のアメワカヒコとタカヒコネの双子の兄弟(当時12穂=6歳半)
左は谷のサクラウチ:女王セオリツ姫の父サクラウチ。谷は九州大王の連合相手
右は山のカグヤマツミ:女王タケコの養父フツヌシ。山は山陰大王の連合相手
※九州王アマテルと四国王傍流のサクラウチ~イフキトヌシの連合と、山陰王オオナムチと海洋王フツヌシの連合の二女王連合並立である。
※オモイカネ~タチカラヲの親子が連合から排除されている。

嗣の綾(14)
五元素のすべてが揃うと人となるという説話を装って、アマノコヤネ渡来直前の女王連合同盟は、空(タカヒコネ)、風(イフキトヌシ)、火(フツヌシ)、水(オオトシ)、埴(タケミカツチ)の連合諸国(人)と、神(オシホミミ)による三女王六男王制であったことを伝える。

カカンノンテン(14)
春日ワカヒコ(アマノコヤネ)、万木ヨロギミホヒコ、葛城カダキヤスヒコを、それぞれ春日、子守、勝手の守に任命するという形をとって、コヤネの一時帰国に同行したメンバーを伝えている。
アマノコヤネの一時帰国の目的は、后タカ姫のお披露目とシラタマ姫とミホヒコの結婚であったと考える。ヤスヒコは海洋王サルタヒコの后となったウズメの兄弟。

15 御食みけよろづ なりそめの文

ウケステメ(15)
カナサキの嫡系タケミカツチに男子がなかったため嫡系に昇格したアマツヒコネの孫タケスミと、サルタヒコの前妻との娘ウケステメの結婚を示す。
北国ネノクニ」は西山陰の根国ネノクニではなく、ここでは西北部九州の北にある赤県アカカタ(壱岐対馬)のこと。
古事記では、アマノコヤネの娘シラタマ姫の子孫タマヨリ姫「白玉」に対して、ウケステメの子孫トヨタマ姫が自分のことを「赤玉」とするが、赤とはこの「赤県アカカタ」のこと。≫古事記「赤玉白玉」

鳥獣(15)
五元素のうち、土を欠くと鳥になり、中でも火が強いと水鳥になり、空を欠くと獣になるという説話を装って、アマノコヤネ渡来によって女王連合同盟がどのように再編されたかを示している。
うつほ:ソサノヲ傍系のタカヒコネ(ウツロイ)
:四国傍系のイフキトヌシ(シナトの風)
:海洋王宗像のフツヌシ(カグツチ)
はに:海洋王住吉のタケミカツチ(ハニヤス)
:新渡来王オオトシ
:女王連合同盟
火勝つは泳ぐ:宗像を認めると海洋王の暴走を招く
獣になる:女王連合同盟から排除される
寄る:ひとりの女王を立てて二国の連合を組む
:ソサノヲの子孫ホノススミ
:アマテルの子孫ホノアカリ
いの:在来海洋王住吉の後継者ハテスミ(アマテルの子孫でもある)
まし:新海洋王サルタヒコ
重要なことは、五元素からなる「人」に対して「神」だったために記されなかったオシホミミの子ホノアカリが「狸」と記されていることである。そのことにより、ここに記されていない「鏡」新渡来王アマノコヤネと「剣」山陰在来王ミホヒコが連合を組み、三女王六男王制連合同盟の頂点に立ったことをも伝えている。

四十物あいものの 魚は四十あり(15)
四十物あいものの魚は四十あり:ミホヒコ(魚)がスガタ姫(イクタマヨリ姫、四十=他所)と再婚した。
三日スズナに消せよ:再婚の計画が持ち上がってから実現まで3年間かかった。ミホヒコの前妻シラタマ姫を説得するのに時間がかかったからである。≫腹悪し事 ≫フ「ヲ折れ」
水鳥を食えば二十一日スズナ得よ:ホノアカリとタマネ姫の婚姻によってオオトシの系譜の男系が断絶してから(水鳥を食う)、21年後にホノススミがオオトシの本拠地・卯川宮を継承した。

16 孕み謹む帯の文

タチカラ吾子を招かんな(16)
「我姫御子を 儲けらん タチカラ吾子を 招かんな」とは、タケミカツチが自らの女子を女王に擁立し、イワマド(タチカラヲの子)と婚姻させようとしたことを示す。

姫は姫なり(16)
タケミカツチの娘には名前がない、すなわち「名無し」であることから、女王の資格がないことを示す。
なお、アメワカヒコを暗殺した「名無しの雉子」と呼応している。

イトリヤマ(16)
タケミカツチの娘には女王の資格がないが、タチカラヲが擁立した葛城ヒトコトヌシ(オオトシ)の娘ウズメには女王の資格があることを示す。
イフキのなる紅葉化けて葛城イトリヤマ:ウズメがイフキトヌシの姉妹セオリツ姫の後を継いだことを示す。

橋架けなして(16)
タケミカツチが自分の娘を女王に擁立し、フツヌシと連合したことを示す。
フツヌシにアマノコヤネとの結婚の「橋架け=仲立ち」を頼むという形に偽装している。フツヌシとアマノコヤネが出会った浜には名前がないが、それも暗号になっている(次項)。

タケミカツチの二剣(16)
二剣とは、二度大王の座に就いたことを示す。なお、順序が入れ替えられているのは攪乱である。
ウツロヰを拉ぐ:タカヒコネを大王の座から追放して、自らが大王の座についた。しかしその後タチカラヲとの連合が拒否され、タチカラヲのウズメ擁立(オオトシとの連合)によって大王の座を追われた。
よろきの岩を投げる:タチカラヲ(千引岩)を追放して、フツヌシを連合相手に迎えた。

五色の花(16)
五色の花はアマノコヤネの渡来時の四人の女王と、ホノアカリに婚姻を破棄されたスガタ姫に代わって女王となったニニキネの后アシツ姫のことである。
青:アシツ姫(天孫ホオテミ)
黄:シラタマ姫(物主ミホヒコ)
赤:ウズメ(新海洋王サルタヒコ)
白:タカ姫(渡来王アマノコヤネ)
黒:ウケステメ(在来海洋王アマツヒコネ)
君の心と わが花と 合ふや合わぬや あえ知らず てれば恨むな 厭けらるも 上も辺も揺らず 求むなり てれば召すとも 幾たびも 畏れて後は 恨み無し 慎みはこれ:女王擁立による連合の成立には難しさもあり、擁立されたとしても連合関係が破綻することもある。だから、女王位が廃位されてもそのことを「恨むな」と言うのである。また、女王位の継承順位に関わらず擁立されることもあり、その順位が後に問題になって廃位につながったとしても「恨み無し」だと言っている。
色の花 ひとたび愛でて 早や散れば 塵と捨てられ 他所(四十)の花:一度女王に擁立された後、継承順位が問題になって廃位され、他の連合の大王の妻(他所の花)となったのはスガタ姫(イクタマヨリ姫)である。
四十の花 召す時はその 花盛り つらつら思え 満の花も 人も移れば 散る花ぞ:スガタ姫がホノアカリと婚姻し女王に即位したのは40穂(数え20歳半)の時だったことを伝える。それはスガタ姫が父アメワカヒコの正后タカ姫の娘ではなく、国津神アタツ姫の娘であることを知らせるためである。
もし誤れば 胤断ちて 見咎めあれど その人は まだ太刀持たず 杖打たず 人打ち殺す 故も無し:もしも山陰王の側に連合関係の変更などの動きがあれば(もし誤れば)、連合同盟から排除し(胤断ちて)追放するなどの処罰(見咎め)もありうるが、山陰王ミホヒコ(人)は四国王ホノススミとの連合大王には即位せず(太刀持たず)、トカクシの新四国王擁立を支持したので(杖打たず)、山陰王を糾弾する必要はなかった(人打ち殺す故も無し)という意味。

アオメ・サムメ(16)
内宮の アオメのいぶり 気を冷ます そばの事代 忠なれば これをサムメが 恨むなり 君が恵みも つい忘れ 恨み妬むの 庭桜 咲かずば知れよ:ニニキネ(セオリツ姫=内宮の孫)とアシツ姫(アオメ)の婚姻による天孫の弟とソサノヲ傍系の連合成立を、アマノコヤネの連合相手クシヒコ(そばの事代)が承認したことに対抗して、ホノアカリとの婚姻を破棄されたスガタ姫陣営はニニキネとの婚姻を模索した。しかしその婚姻はうまく行かなかった(庭桜咲かず)。庭はアマノコヤネの直接支配下にある有明海沿岸のこと、桜はホノススミが継承していたサクナギ嫡系の符牒。
万民の 恨めん女殿 万桜 天に植えてぞ 愚か女が 妬むイソラの 金杖に 子胤打たれて 流れゆく:フツヌシ(カグヤマ、万民)が渇望していたホノアカリの正后の地位(女殿)に、スガタ姫が就いたものの(万桜天に植えて)、子どもが生まれず、フツヌシの孫アメミチ姫に子どもが生まれたことによって婚姻を解消され(金杖に子胤打たれて)、その後、スガタ姫はニニキネとの婚姻の模索に失敗し、最終的にはミホヒコと再婚した(流れゆく)。「万」は針摺運河のくだりに登場した「鎧崎=万居崎」の「よろ」と同じで、有明海沿岸に対する北部九州のこと、「金」はフツヌシの父カナヤマヒコの符牒、「杖」は海洋王の隠語である。
※前半部のニニキネとの婚姻の模索と、後半部のホノアカリとの婚姻の解消は、時系列が逆になっている。

月の位(16)
丈八咫は 八十万男子 なれ丈ぞ:アメミチ姫は、アマノコヤネ再渡来後8年目(八咫)に北九州(万)に移っていたタカヒコネ(八十)と再婚した。
もしも十二子を 生む母は 月の位ぞ 一孕み 三つ子を生めば:アメミチ姫は4人の女子を生み、そのうちの3人が一人ずつ女子を生み、その女子たちも一人ずつ女子を生み、そのうちの2人が一人ずつ女子を生んだ(アメミチ姫から始まる女子の系譜は合計12人になった=十二子)。その功績によりアメミチ姫は女王位(月の位)を得た。
「一孕み三つ子を生めば」は、「一孕みで三人とすれば4回生んだことになる」で最初の4人を、「そのうちの3人が一孕みずつ3人を生んだ」が二回で二代6人を示しているものと考える。
また、「三つ子を生めば」は三つ子を生んだと記されるコノハナサクヤ姫がアメミチ姫の別名であることを知らせている。

17 神鏡 八咫の名の文

タチカラヲ谷を出てたまゆら聞けば(17)
タチカラヲがアマテルの連合相手から外された(谷を出た)後、タケミカツチによってタカヒコネが追放された(たまゆら聞けば)。オオトシ(水)からウズメを女王に擁立する見通し(水知れり)を得たタチカラヲは、イフキトヌシ(イソラ)、フツヌシ(竜)、オオナムチ(犬)を敵に回すことを覚悟のうえで、タケミカツチの排除を決行した。

ムの民女(17)
これまで海洋王・宗像(ム)の民女(タケミカツチのヒメ)が女王連合の一角を占めていたように、アマノコヤネ(ヤ)の海洋王であるサルタヒコの女子ウケステメ(ヤの民女)が女王となって女王連合の一角を占め、海洋王の頂点に立った、という意味。
※王族の名を一文字で伝える暗号方式はフトマニで多用されているが、ホツマツタヱでは類例は多くない。

18 オノコロと まじなふの文

ハタタ神(18)
オノコロのまじないの話を装って、宗像(ハタタ神)と山陰(ホオコホ=矛)によって住吉カナサキの「鄙居り=対馬への配流」、童(孫のアマツヒコネ)の「御残り=壱岐への幽閉、額に=烙印」が実行されたことを伝えている。

19-1 乗り法一貫間の文

19-2 乗りの文 てるたえの文

右サクラウチ(19-2)
アマツヒコネ立太子・セオリツ姫立太女における連合体制を示す。
左オモイカネは前代大王、右サクラウチは前代女王ワカ姫に女子がなかったために女王候補を出した臣、おやとみカナサキは大王候補の母方の長老(祖父)、受持うけもちカダは前大王の父サクナギ、馬屋治めヲバシリ(ミカサヒコ)は大王候補の母方の伯父である。

天より伊勢に(19-2)
サナトはアマテル88穂(前234年)。アマテルのオシホミミへの譲位を装っているが、オシホミミは16穂(8歳半)で元服前である。この年はちょうどアメワカヒコの元服にあたり、それに合わせてタカ姫(20穂、10歳半)とオクラ姫の立太女が決まったと考えられる。アメワカヒコの次期大王即位が決定したことで、アマテルの譲位が決まったことを「天より伊勢に(大王から上王に)」と表現したものであろう。

20 すめ御孫みまご 十種とくさ得る文

政休まん(20)
年置いて:2年間という意味か。「年老いて」と思わせるのは攪乱である。この時アマノコヤネは39歳半(78穂)。
政休まん:中国への一時帰国を示す。

伊豆の岬に帆を上げて(20)
アマノコヤネの一行が、島原半島(伊豆の岬)を回って遠く東シナ海を渡り(大空を遥かに駈けり)中国に向かったことを表す。
マウラは風見:アマノコヤネの留守中、オオヤマスミが酒折宮を預かったことと呼応。マウラもオオヤマスミもタカヒコネの別名である。

スガタが娘 御后に なして歌詠み 葛垣の 琴を楽しむ(20)
ホノアカリはスガタ姫を女王に擁立して大王に即位した(琴を楽しむ)。

装ふ間に民 集まりて ひた留むゆえ
オシホミミが自分ではなく息子のホノアカリをスガタ姫と結婚させる、という場面に記される。
「装う」は「女王と結婚して大王に即位すること」の、「民」は「海洋王」の隠語であり、この一節は「海洋王によって大王即位を短期間で取り消された」と解釈できる。クシヒコの追放でタクハタチチ姫の女王位が剥奪され、夫オシホミミの大王位も無効にされたこと、そしてオシホミミはアシツ姫と婚約して、女王の元服を待つことになったことを示す。
なお、アマノコヤネの渡来により状況が変わり、タクハタチチ姫とオシホミミの王位は復活し、アシツ姫の代わりに擁立されたスガタ姫の婚約者にはオシホミミの嫡男ホノアカリが指名された。

ここにト祖の 十種宝とくさたからを 授けます 沖津鏡と 辺津鏡 叢雲剣 卯成うなるたま 玉返たまかえしたま 千足ちたるたま 道明みちあかしたま 大蛇おろち領巾ひれ 母蛇絞ははちしむ領巾ひれ 木葉このは領巾ひれ この十種なり
アマテルからホノアカリに授けられた。ホノアカリ即位の根拠となった大王位、女王位について整理したもの。次項の「十まで数えて振るえ」と対応している。≫考察記事
①沖津鏡:アマノコヤネ ※盟主の地位 ※渡来王(沖)
②辺津鏡:アマテル⇒ホノアカリ ※九州王の地位(辺)
③叢雲剣:ミホヒコ ※盟主の連合相手の地位 ※タカヒコネ(叢雲)以来、海洋王に奪われていた
卯成うなる玉:ウズメ(卯川オオトシの娘) ※オシホミミとの婚約を取り消して海洋王サルタヒコの后になった
玉返たまかえし玉:アメミチ姫(フツヌシの娘) ※連合から排除(玉返し)された女王候補
千足ちたる玉:タカ姫(千足ハヤコの子孫) ※渡来王アマノコヤネの后になった
道明みちあかし玉:ウケステメ(サルタヒコの娘) ※海洋王連合の女王に擁立 ※「道」は海洋王の隠語
大蛇おろち領巾ひれ:モチコ(ココリ姫の娘) ※正統女王だったが廃位 ※八岐大蛇として退治された
母蛇絞ははちしむ領巾ひれ:ワカ姫(トヨウケの娘) ※モチコ廃位を受けて正統女王を継承したが女系断絶 ※八岐大蛇を六弦で絞めた
木葉このは領巾ひれ:セオリツ姫(イフキトヌシの妹) ※ワカ姫から正統女王を継承した前盟主連合の女王

傷むこと あらば一二三四 五六七八九 十まで数えて 振るえただ ゆらゆら振るえ かくなせば すでに罷るも 蘇る 振る宣言ぞと 詔
「十まで数えて」は十種宝の数に対応しているように装うが、アマノコヤネの渡来によって配流期間がこれまでの「4年、8年、無期限」から「2.5年(5穂)、5年(10穂)」に変更されたことを記している。後半部は、その変更時に「無期限の配流」を命じられていたアマツヒコネ、オオナムチ、クシヒコの配流が赦免されたことを伝えている(すでに罷るも蘇る)。≫考察記事

詔 中国の守 拒まんを 防ぐ供守総三十二 皆乗り馬で 守り行く
ホノアカリに随行する供を装っているが、アマノコヤネ(中国=有明海の守)を抵抗勢力から守る「供守」という意味。アマノコヤネ(馬)が盟主となった連合同盟に加わったことのある(乗り馬で)40人の男王のうち、後述の「五伴」と当事者(ホノアカリ、父オシホミミ、弟ニニキネ)を除く32人の男王が全員挙げられている。≫考察記事➀
この部分の記述から、カンミムスビやオオヤマスミの正体がわかる。
①カグヤマ(ヤマスミの二子):フツヌシ
②フトタマ(ミムスビの三子):イフキトヌシ
③コヤネ(春日殿の子):アマノコヤネ
④クシタマ(ミムスビの四子):ミホヒコ ※クシヒコの子
⑤ミチネ(カンミの曾孫):ツミハ ※サルタヒコの子
⑥カンタマ(ヤマスミの御子):アマテル ※盟主経験者
⑦サワラノ(アカツチの孫):カゴヤマ ※宗像アカツチの継承者
⑧ヌカド(カガミツコの子):オモイカネ ※イシコリドメ=ココリ姫の子
⑨アケタマ(タマツコの子):シイネツヒコ ※四姉妹を生んだアメミチ姫の子
⑩ムラクモ(ミチネが弟):オシクモ ※アマノコヤネの子
⑪ウスメヒコ(ミケモチの孫):アタツクシネ ※ウズメの子孫で、在来四国王の孫
⑫カンタチ(子守の初子):カンタチ(子守=ミホヒコの子)
⑬アメミカゲ(タタキネの弟子):タケスミ(タタキネ=アマツヒコネの二男)
⑭ミヤツヒコ(カナサキの御子):タカキネ ※カナサキの義子、宮津の王
⑮ヨテヒコ(子守の四子):ウマシマチ ※クロハヤの父
⑯アメトマミ(ヌカタタの弟子):ホノススミ(ヌカタタ=タカヒコネの甥)
⑰アマセオ(カンミの玄孫):ミケイリ ※3代カンミのクシヒコの4代後
⑱タマクシ(セオの従兄弟):クシミカタマ ※タマクシ姫の子 ※本当は弟
⑲ユツヒコ(サワラノの弟):ニギハヤヒ ※カゴヤマの異母弟
⑳カンタマ(タマクシの弟):トカクシ ※クシミカタマの弟クシナシ ※本当は兄 ※盟主経験者
㉑ミツキヒコ(カンタマの弟):ソサノヲ ※アマテルの弟
㉒アヒミタマ(タカギの四子):ホオテミ ※4代日嗣
㉓チハヤヒ(ヨテの弟五子):クロハヤ ※ウマシマチの子、「ハヤ」
㉔ヤサカヒコ(子守の八子):フキネ ※八尺瓊勾玉タカ姫の娘フトミミの子
㉕イサフタマ(ツノコリの子):イナイイ ※父ニニキネが対馬に残った
㉖イキシニホ(オモイカネの子):オオナムチ ※オモイカネに女子があれば夫はオオナムチ
㉗イクタマ(タカギの五子):ウカヤフキアワセズ ※5代日嗣
㉘サノヒコネ(ヒコナの子):アメタネコ ※スクナヒコナの子孫
㉙コトユヒコ(ハラキネの弟子):タカクラシタ(ハラキネ=ツミハの子のうち弟の娘の子)
㉚ウワハル(ヤツココロの子);タケミカツチ ※カミワタツミ
㉛シタハル(ウワハルの弟):カグヤマツミ ※タケミカツチと並ぶ海洋王
㉜アヨミタマ(タカギの七子):タケヒト(神武天皇) ※7代日嗣

五伴
ホノアカリ即位時の三連合のホノアカリ以外の五王の先代にあたる人物を記している。≫考察記事
五王本人ではなく、あえて五王の先代を記すことにも大きな意味がある。特にアマノコヤネの先代をアメワカヒコとすることで、オオナムチの旧連合における地位を伝えている。また、ホノアカリの連合相手であるホノススミが、タカヒコネに男子がないために招かれた人物(「時にクスヒが 熊野守 招けば烏 八つ来たる」)であること、アマツヒコネとの子タケスミとのが示されている。サルタヒコについては本人を記すことで、新渡来王であることを間接的に示してもいる。
①アマツマラ(カンミの玄孫):クシヒコ=ミホヒコの父 ※古事記「天岩戸神話」の「鍛人」
②アカマロ(ツクバソソの子):アマツヒコネ ※赤県出身のウケステメの夫、「マロ」は日高見の王につく尊称
③アカウラ(シホモリの二子):アメワカヒコ ※タカヒコネ(シホモリ)の双子の兄
④マウラ(ヤマスミの五子):タカヒコネ=ホノススミの「先代」 ※マウラの子孫は「橘の君」
⑤アカホシ(カツテの弟):サルタヒコ ※カツテの義弟(妹の夫)で、赤県出身

十種宝(20)
新渡来王アマノコヤネと山陰・大物主の連合、新海洋王サルタヒコと在来海洋王カナサキの連合に加えて、九州内の連合としてアマノコヤネ(沖津鏡)の主導でアマテル(辺津鏡)の子孫とソサノヲ(叢雲剣)の子孫の連合が成立し、ホノアカリがその連合の大王に即位したことを示す。
4種の玉と3種の領巾は、それまで擁立された女王位の血統をすべて網羅して列挙したものである。
※領巾は最上位の女王位。
※この十種宝について記紀は削除したが、先代旧事本紀が採録して後世に伝わった。
沖津鏡:アマノコヤネ
辺津鏡:アマテル嫡系
叢雲剣:ソサノヲ嫡系
卯成うなるたま:ウズメ ※卯川(山口県下関市豊浦町宇賀)の姫
玉返たまかえしたま:タケミカツチのヒメ ※女王位を返上した姫 ≫隠語「玉返し」
千足ちたるたま:ハヤコ~タケコ~タカ姫 ※ハヤコは千足(京都府宮津市)で擁立される予定だった姫
道明みちあかしたま:(ハヤコ~)タキコ ※タキコの孫はアメミチ姫
大蛇おろち領巾ひれ:モチコ ※八岐大蛇
母蛇絞ははちしむ領巾ひれ:ワカ姫 ※モチコ(大蛇)の女王位廃位により最上位に昇格 ≫暗号「琴の種類
木葉このは領巾ひれ:セオリツ姫 ※花が咲かなかった桜の意か
※ホノアカリの母タクハタチチ姫は、授けられる宝には含まれない。≫暗号「琴の種類

鴨にて到る斑鳩イカルガ(20)
ハテスミ(鴨)と連合を組んだサルタヒコは 斑鳩イカルガに宮を構えた。
「斑鳩の峰」は「沖壺の峰」と呼応している。沖壺は志賀島であり、ハテスミの子タケスミが志賀守であることから、斑鳩は志賀島に比定。奈良盆地の地名との対応関係も許容範囲である。
なお、現地には猪狩遺跡が存在する。≫参考「邪馬台国大研究>志賀島の考古学
鳥の白庭:アマノコヤネの支配地、有明海のこと。サルタヒコが玄界灘から有明海に移ったことを示す。それはつまり、連合相手をハテスミからタチカラヲに変えたということでもある。
空見つヤマト国:アマノコヤネの一時国によって、中国からこの国を見るという外部からの視点が生まれたことを示している。
※すべてホノアカリの事績のように記されるが攪乱である。

マウラを召して(20)
タカヒコネが二荒への追放を解除されたことを示す。≫フトマニ「アキニ
ホノアカリがマウラ(タカヒコネ)を召したように記すのは、追放解除がホノアカリ即位の恩赦によるものであることを示しているか。

21 新治宮にはりみや のり定む文

新治宮(21):
新治宮の主はタカヒコネ(イクシマ)であり、殺害されたアメワカヒコ(タルシマ)に代わる大王として擁立されたことを示す。
イクは「生きる」、タルは「日足る」が死を表すように「死ぬ」であろう。

クシマドとトヨマド(21)
新治宮を守るクシマドとトヨマドは、オオナムチの子クシヒコとタチカラヲの子イワマド。
海洋王のフツヌシとタケミカツチが排除され、アマテル(子オシホミミ)とオオナムチ(子クシヒコ)、ソサノヲ(子タカヒコネ)とタチカラヲ(子イワマド)による連合体制となったことが示されている。

フトタマをして祝わしむ(21)
この体制がフトタマ(イフキトヌシ)主導によるものであることを示す。

ハタタ神鳴り(3)(21)
ハタタ神は報復者であり、アメワカヒコ殺害時に排除された海洋王であるが、ここではこの時に起こった皆既日食のことをも指しているとみる。

社拉げと(21)
皆既日食によって政変が起こり、タカヒコネに代わってタケミカツチが大王に即位した。タカヒコネは二荒に配流された。
なお、アメワカヒコの死の場面で「タカキネが投げ返した矢がアメワカヒコに当たる」のは、この決定をしたのがタカキネであることを知らせるためである。そして「返し矢畏る元折や」の「返し矢」とは、かつてタケミカツチを追放したことでタカヒコネが追放されることになったことを示す。

22 オキツヒコ 火水の祓

春は釜 九咫そこにあれ 夏は門 三咫そこにあれ 秋は井戸 七咫そこにあれ 冬は庭 一咫そこにあれ(22)
オコロ神(カゴヤマとシイネツヒコ)への詔を装って、オコロの曾祖父タケミカツチと祖父タクリ(フツヌシの子)が居所を変えたことが記されている。「咫」は春夏秋冬を通した1年(二倍年暦の2穂)の単位で年数を示しており、タケミカツチについては前後が入れ替えてある。すなわち、タケミカツチは釜(有明海=二荒)に3年、門(針摺)に9年、フツヌシは井戸(真那井(国東半島)の入口=日高見の香具山=京都平野)に7年、庭(原宮のすぐ北=島原半島東岸)に1年いた、ということである。アメワカヒコ暗殺から皆既日食まで3年、アマノコヤネ渡来まで9年、一時帰国まで7年、ミホヒコの帰国まで1年ということを伝える暗号である。

オコロ(22)
宗像フツヌシ(カグツチ)の男子タクリと住吉タケミカツチ(ハニヤス)の娘ヒメが結婚して生まれたアメミチ姫は二人の男子を生んだ。ホノアカリとの間に生まれたカゴヤマ(兄オコロ)は後に住吉の後継者に指名され、タカヒコネとの間に生まれたシイネツヒコ(弟オコロ)は島原半島(中柱)の北側の二荒裾の宇都宮(長崎県諫早市宇都)にいた。

23 御衣みは定め 剣名の文

身の程も忘れて(23)
海洋王タクリ(民)が驕り身の程も忘れて大王位(剣)に就いていたが、タカ姫(身の垣)を女王に擁立したアマノコヤネは、その大王位を取り消した。
身の垣:「美濃の葛垣」。美濃にいたタカ姫。≫古事記暗号「喪屋は美濃に」

ハタレが業は(23)
ハタレが業は弓矢に破り太刀打ち払う:タケミカツチとフツヌシの在来海洋王連合(ハタレが業)は、外来女王ウケステメ(矢)と婚姻したハテスミ(弓)に取って代わられ、女王位継承権のないヒメを女王に擁立していたタクリ(太刀)の大王位はアマノコヤネとタカ姫(身の垣)によって無効とされた。

己が身に 合わねば道を 逆に行く 一人悖れば 友を増し 群れ集まりて わだかまり 道妨げば 召し捕りて 糾しあかして 罪を討つ(23)
身の程を忘れた海洋王(道)にタカヒコネが追放されて、坂(針摺)を一人戻って二荒(長崎県諫早市)に向かい、海洋王連合を成立させて女王連合を増やし(友を増やし)、海洋王が混乱を招いていたので(道妨げば)、アマノコヤネがその連合を解体した。

三諸山ミモロノヤマに洞掘りて(23)
三諸山ミモロノヤマ:九州外の地の隠語。ここではクシヒコが配流された万木ヨロギのこと。
比定地は中国山地で唯一前漢鏡が出土している広島県北広島町丁保余原よおろほよばら・中出勝負峠墳墓群から同町新庄の横路よころ遺跡周辺である。「よおろ」「よころ」は「ヨロギ」の転訛とみる。
すぐな印の杉:50㎞ほど下流の広島県三次市に「高杉」「廻神めぐりがみ」といった地名があり、当地には備後國二之宮に比定される知波夜比古ちはやひこ神社がある。日本海から江の川を遡るとこの場所で万木方向に大きく方向転換していることも「すぐな印」と合致する。
古事記にも万木の場所に関する暗号がある。≫古事記「その船を踏み傾けて天の逆手を青柴垣に打ち成して隠りき」
十二万八千百:「神代の年数」で換算すると15穂(7年半)にあたる。クシヒコはアマノコヤネ渡来時に復権し九州に戻ったが(次項参照)、この15穂が配流地にいた期間だとすると、「国譲り(クシヒコ追放)」は「天岩戸(皆既日食)」の3穂後、前226年のことであったと推定される。
天逆矛提げながら:子のミホヒコ(逆矛)もいっしょに、という意味。

トと矛と 授け賜る トは璽 矛は逆矛 二神は これを用いて 葦原に オノコロを得て(23)
イサナギへの詔を装って、アマノコヤネの体制について伝えている。
トと矛と授け賜る:九州と山陰の支配者となった
トはオシテ:九州大王はオシホミミの子(オシテ)
矛は逆矛:山陰は天坂(針摺)を支配した山陰大王ミホヒコが支配した。
葦原にオノコロを得て:葦原は有明海沿岸のことで、美濃(佐賀県嬉野市・美野)。オノコロは王族同士の結婚。

24 肥国こゑくに原見山の文

治むる道の 乱れ糸 切り綻ばす 器物 天の教えに 逆らえば 身に愛く天の 逆矛ぞ(23)
天の逆矛の由来が「逆らう者を切り綻ばす」であることを伝えるかのように装って、「ミホヒコ(身)が天坂(針摺)を賜った」ことを示す。

右鳥かのとり(24)
首のオシホミミは瑞穂宮(福岡市西区・吉武遺跡群)、左羽アマノコヤネは原宮(長崎県南島原市・原城跡)、右羽ミホヒコは春日国・飛日丘(太宰府周辺)、そして、足の位置には、ソサノヲ嫡系のアメトマミが須賀宮(福岡県朝倉市須川付近)にいた。

曾祖父ひををぢのサクラウシ(24)
サクラウシとはサクナギのことである(サクラウチはサクナギの子)。

コヤネ西洲カシマに年越ゆる(24)
アマノコヤネが一時帰国した中国で2年間過ごしたことを示す。
カシマは鹿島のように思わせるが、中国のことであり、漢字を当てるなら「西洲」である。対義語は「杵島=東洲」であり、有明海の西岸にある杵島を「東の島」と呼ぶのは、中国に対する東という意味である。杵島は当初九州全体のことを指していた可能性もある。
なお、同じ杵島が鹿島とも呼ばれるのは、筑紫にいたタケミカツチから見れば、有明海西岸は「西の島」だからである。

物主一人(24)
物主一人日高見の井堰成し成し日隅まで:アマノコヤネの一時帰国に同行したミホヒコは、アマノコヤネより先に1年間で日高見に戻った。また「井堰」は運河の隠語であり、遠賀地方から豊前海沿岸(日隅はその極南)に通じる運河が整備されたことを示している。

昔春日に瓜得て(24):
タカヒコネが双子であることを示す。
双子各々に真桑(タケコの双子タカ姫とオクラ姫)が捧げられ、八十(コトヤソ=タカヒコネ)が喜んだ、という意味である。

浜千鳥はまつちとり(24)
沖つ藻は 辺には寄れども サ寝床も あたわぬかもよ 浜千鳥はまつちとり
浮気の嫌疑をかけられたコノハナサクヤ姫の恨みを解くためにニニキネが送った歌を装って、ニニキネが後妻トヨタマ姫を娶ることになった経緯とウカヤフキアワセズの存在を知らせる暗号になっている。
オキツモ:オキツヒコ(サルタヒコ)の子ツミハ
かも(鴨):サルタヒコと連合を組んだハテスミの系譜
あたわぬ鴨:ツミハがワカ姫の系譜・三島ミゾクイのタマクシ姫(ハツセ姫)と結婚し、ハテスミとの連合関係が解消されたことを示す
浜千鳥はまつちとり:トヨタマ姫がホオテミとの間に生んだウカヤフキアワセズ ※「千鳥」は天皇家(ウカヤフキアワセズの子孫)の隠語である。「浜千鳥」は後世には「あと」にかかる枕詞となったが、その端緒となった古今集の歌には「浜千鳥 行方も知らぬ」とある。≫民間伝承「浜千鳥」

コノハナサクヤ姫の三つ子(24)
初に出る名は ホノアカリ 諱ムメヒト 次の子は 名もホノススミ サクラギぞ 末は名もヒコ ホオテミの 諱ウツキネ また姫は 子を生む日より 花絶えず 故にコノハナ サクヤ姫:この説話の主体であるアシツ姫はホオテミ(山幸)の母であり、ほかの二人の男子、ニギハヤヒ(ホノアカリと偽装)の母はタマネ姫(オオトシの孫娘)、ホノススミ(海幸)の母はアタツ姫(国津神)である。さらにホオテミの諱として記されるウツキネはシイネツヒコの諱(ウツキネ→ウツヒコ)であり、その母はタカヒコネとの間に四人の女王を生んだアメミチ姫である。つまり、コノハナサクヤ姫にはアシツ姫、タマネ姫、アタツ姫、アメミチ姫という四人の人物が融合されているのである。
子を生む日より花絶えず:シイネツヒコ(子)が生まれた後、続けざまに4人の女子が生まれた(花絶えず)、「故にコノハナサクヤ姫」とあるので、コノハナサクヤ姫とはアメミチ姫の別名である。
日本書紀の暗号「鹿葦津カアシツ姫/神吾田津カムアタツ姫」

富士八湖(24)
信濃諏訪(雲仙岳南東麓)のタチカラヲに掘らせた八つの湖とするのは、イサナギ・イサナミの子孫の8つの系譜である。後の時代に富士山と命名された由布岳(豊後富士)の山麓の湖と呼応している。≫暗号「八湖三つ埋まり」
東:山中:白髭・ホノススミ ※日田盆地
北東:明日:物部・ニギハヤヒ ※飛鳥(福岡県久留米市御井)
北:河口:近江・タケスミ ※那珂川河口(志賀島)
北西:本栖:天皇・ウカヤフキアワセズ ※イサナギの元の宮(多賀=福岡県糸島市)
西:西湖:橘・タカヒコネ ※有明海(相模小野=佐賀県武雄市橘)
南西:清湖:諏訪・タチカラヲ ※湖(信濃諏訪=長崎県雲仙市小浜町)
南:四尾連湖:物主・カゴヤマ ※痺れ?(熊本県宇城市)
東南:須戸:春日・ミケイリ ※阿蘇の戸?(熊本県山都町橘/熊本市西区・日向)
※九頭大蛇(イナイイ)は、この8つの系譜に加えた9つ目の系譜という意味があると考える。

25 彦命ひこみこと を得るの文

大鯛が 口を噛み裂き 前に寄る アカメは口に 元鉤得て(25)
アメミチ姫がタカヒコネと再婚して女王候補を生んだことを示す。
「鯛」はクシヒコ、鯛が噛み裂いた「口」とは日高見(遠賀平野)の隣の宗像平野の新治宮。新治宮で大王に即位したタカヒコネを日高見大君のクシヒコが追放し、日高見が宗像平野まで支配地を拡大した(前に寄る)ことを示す。
アカメは口に元鉤得て:アメミチ姫(アカメ)はタカヒコネ(口)と再婚して女王候補を生んだ。
古事記が「鯛」に充てる漢字を「赤海鯽魚」とし、「アカメ自身が鯛である」と改変するのは、タカヒコネに元鉤を得たとするアカメ自身がその鉤を生んだことを示すためであろう。

明けて群れ出る 若姫が まりに若水 まんとす つるねれば 影映る(25)
「群れ出る」はアメミチ姫の4人の女子のこと、「若水汲む」は四国にいたタケフツと連合を組もうとしたこと、「ツルベ跳ねれば」はミチツル姫の婚姻が失敗に終わったこと、「影映る」はソサノヲ嫡系のホノススミに男子がなく、ウツヒコ(シイネツヒコ)のソサノヲ傍系に吸収されたことを示す。≫白鬚の孫アメミカゲ近江の絵を奉る

満ち干の珠(25)
ミチツル姫とその母スセリ姫のこと。
最初の珠で「海が乾く」のはホノススミの男系が断絶したことを、次の珠で「水が溢れて沈む」のはミチツル姫とタケフツの婚姻計画が失敗に終わって没落したことを示す。

26 ウカヤ葵桂の文

白鬚守(26)
ウカヤ誕生説話の一部をなしているが、偽装である。
カツテは椅子も 御湯みゆも上ぐ:カツテは連合国の地位(椅子)を明け渡し、女子を連合同盟国の王の后に差し出した(御湯も上ぐ)。
ウカヤの湯とは コノハナの 白きカニ咲く 子は鵜目うのめ:ウカヤの后になったのはアメミチ姫(コノハナサクヤ姫)の娘で春日オシクモ(白きカニ)の娘である(子は鵜の女)。
またアマカツら 今御子の カニツワ吐けば ココモあり:海洋王連合(アマカツ)のその時の王トカクシはアメミチ姫の娘のひとりアサ姫を娶り、サシクニワカ姫(カニツワ)が生まれたが、物主(ココモ)のフキネと婚姻した。
スセリ宮より 御湯進め 海人草まくりとともに カニを治す かれ … 卯川の 宮褒めて 白鬚守の 名を賜ふ:ホノススミは自らの娘ミチツル姫(アメミチ姫の孫)を四国に追放されていたタケフツ(海人草まくり)と婚姻させようとして(カニを治す)、黒坂(鳥取県日野郡日南町黒坂)に追放された(白髭守の名を賜う)。
※カニ:回虫のことだが、隠語としてはアメミチ姫の女系子孫のこと。
天児アマカツ:「古く、はらえに子供の傍に置き、形代かたしろとして凶事をうつし負わせるために用いた人形(広辞苑)」であるが、隠語としてはハヤアキツ姫の子アマツヒコネのことで、ここではアマツヒコネが加わっていた海洋王連合のことを指す。
海人草まくり:回虫駆除に用いる海産の紅藻。隠語としては海にまつわる人物ということで、ここではタケフツを指している。
※白鬚:白はアマノコヤネの符牒で、鬚は支配地の末端(辺境)を表している。白髭守の名を賜うとは辺境に配流されること。四国に追放されたサルタヒコも白鬚。≫白髭の孫アメミカゲ
永らえて十四鈴の齢:これは白髭の説話がウカヤ誕生説話に組み込まれていることを利用して、ウカヤの事績について述べている部分。ウカヤ誕生の隠匿から発見までの期間、14年間を示す。丹後国風土記逸文にウカヤが発見時数えで15歳だったことが記されている。≫丹後国風土記逸文

鴨割れて(26)
ハテスミ(鴨)の系譜は、トヨタマ姫からウカヤへと引き継がれた下鴨と、タケスミからミケイリへと引き継がれた上鴨に分かれたことを「鴨割れて」と表現した。
※ホツマツタヱが序に「鴨割れて」を「船割れて」とするのは間違いであると記すのは、「鴨」は隠語であるから、それを「船」と置き換えてしまうと暗号としては機能しなくなる、ということを伝えるためであり、もっと言うなら、ホツマツタヱが暗号文であることを知らせるためである。
竜やみつちの 力得て:竜はフツヌシの隠語であり、ここではカゴヤマのことをさす。海幸山幸神話では、ウカヤ(雁)はカゴヤマ(山幸のひとり)に助けられている。一方、蛟はミケイリを助けた人物ということになるが、そうであればミケイリの母タマヨリ姫と再婚したイツセのことであろう。イツセはタマヨリ姫とともに配流され、ミケイリも運命をともにしていた。神武東征神話における「ミケイリもまた逆波の海を恨みて神となる」という記述はイツセのものとも考えられ、「蛟(水つ霊)」がイツセの隠語であると考える根拠にもなる。

織る錦 小葵の御衣みは(26)
ホオテミの後妻となったミハオリ姫の名を伝えるための暗号。
「織る」と「御衣」を一文に組み込んでいる。

27 御祖神みをやかみ 船霊の文

八重垣の太刀(27)
ウカヤフキアワセズの政治体制に偽装されているが、アマノコヤネ再渡来時の再婚に関する暗号である。
真后は八咫鏡を捧げ持ち春日に授く:女王タカ姫がアマノコヤネを大王に擁立したことを示す。
大典侍は八重垣の太刀捧げ持ちコモリに与ふ:イクタマヨリ姫(スガタ姫)がコモリ(ミホヒコ)の後妻になったことを示す。イクタマヨリ姫はハヤコの血統を男系で継承した姫(ハヤコ(イナタ姫)の子アメワカヒコの娘であるが、母親は国神)であり、女王位継承権がなかった。「太刀」は男王の側だけに王位継承権があることを示す隠語である。
※シラタマ姫の9代女王即位の後にアマノコヤネの大王再即位があったことを伝える暗号にもなっているとみる。

シイオリ(27)
タカヒコネとアメミチ姫(ヨト姫)の間に生まれた4人の女子がシイネツヒコと同じ場所にいた(シイオリ)ということを伝えているとみる。4人の女子がいた宇佐の到(北九州市小倉北区上到津)と、兄シイネツヒコがいた安方(北九州市戸畑区菅原)は直線距離で2.5kmほどである。
駒形は「繁居り」と漢字を当てて「たくさん」の意とするが、この指摘も正しいもので、上記の暗号と掛詞になっている可能性がある。その場合、モトメ以外にもたくさんの姫がいる、という意味になる。ただし、そのシイオリの中にいるとされるイソヨリ姫は、4人の女子と同年代のイソヨリ姫の娘タマヨリ姫のことである(タケスミの后になったのはイソヨリ姫)。
なお、今村は「シイオリ姫」という人物であるとしている。ミホツ姫の孫(シラタマ姫の子)にシイオリ姫という名の人物はいないので、この分析は正しくない。ちなみに「十八の姫」ではアサ姫とスセリ姫とミハオリ姫はそれぞれシラタマ姫の十四女、六女、五女とされている。

28 君臣遺し宣りの文

二ヱト キアヱより(28)
ヱは北で山陰を、トは南で九州を指す。キアヱ紀年法は、山陰の女王(スヒチ)と九州の男王(ウヒチニ)の婚姻を紀元としていることを示している。

五芒ゐすき打ち(28)
タケコが五芒ゐすき打ちの持ち主であることを知らせている。前項と対応。

九頭大蛇こかしらのおろち(28)
ニニキネによるウカヤ隠匿事件の発覚によって壱岐に追放されたイナイイが、本土復帰を目指して起こそうとした反乱と、雲仙岳の噴火による火砕流による災害を掛け合わせたもの。
有明海沿岸は相模(現・佐賀平野)を除いて潟湖の汽水化が一気に進み、オシクモ(春日)は「シワカミホツマ(地上の東北)」(枚方、福岡県春日市・須玖岡本遺跡に比定)に移ることになった。≫暗号「塩浴びて写す鏡に」
九頭:「八湖」と呼応しており、イサナギ・イサナミの子孫の9番目の系譜ということを示している。≫暗号「富士八湖」

オヰヱとフタヱ(28)
サルタヒコ(伊勢)も女王連合から脱退すること(玉返し)を願っていたが、オヰヱ(橘)とフタヱ(春日)だけがそうして、自分だけがそうしていないことを悔やんでいる。
ホツマの国々のうち、春日と橘の女王連合離脱に比べて伊勢の離脱が遅れたことを示す。

またサルタ昔授くる(28)
サルタヒコの子孫が娶った后たち。
逆矛木さかほこき:「逆矛」はミホヒコであり、そのミホヒコの孫フキネの娘ミラ姫のこと。サルタヒコの孫クシミカタマの后。
地生太刀わいきたち:「地生わいき」とは女系の血統が男系で継承されたことを示す。ワカ姫の血統を男系で継承したイワマド(三島ミゾクイ)の娘ハツセ姫(タマクシ姫)のこと。サルタヒコの子ツミハの后。
美しき鈴:ミスズヨリ姫のこと。サルタヒコの曾孫アタツクシネの后。

29 タケヒト大和討ちの文

30 天君都鳥の文

31 直り神 三輪神の文

アメノミチネ(31)
タカクラシタの妹イヒカリ姫の夫ミチヲミのこと。類音関係あり。
ソサノヲ追放時にともに追放されたアカツチの別名アマノミチネとも類音関係がある。これはミチヲミがアカツチの子孫であることを示す暗号である(アカツチ~フツヌシ~タクリ~アメミチ姫~アサ姫~ミチヲミ)。


鹿犬千より人ひとりタケミナカタの宣りなりと(32)
タチカラヲがウズメ(オオトシの娘)の擁立に動いたことを示す。
タチカラヲ(タケミナカタ、鹿)としては、オオナムチ(犬)よりオオトシ(人)をとった、ということ。

八湖三つ埋まり原山・淡海の絵(32)
八湖のうちの三つの湖が埋まったとすることで、イサナギ・イサナミの子孫の存亡を伝えている。また、直前にある「原山・淡海の絵」の記述が埋まった三つの湖を指している。
諏訪祝原山の絵奉る:ワカ姫の系譜はミシマミゾクイ(トヨマド)に男子がなく、女子タマクシ姫がツミハと結婚してトカクシ(紀・伊勢)に女系で継承された。
白鬚の孫アメミカゲ近江の絵奉る:この白鬚はサルタヒコである。その孫アメミカゲとはウケステメの子タケスミ。タケスミには男子がなく女子タマヨリ姫がミケイリと結婚して天孫の系譜に吸収された。一方、ここに白鬚を持ち出すのは、同じく白鬚守を任ぜられたソサノヲ嫡系のホノススミの事績も加えるためである。ホノススミにも男子がなく、女子ミチツル姫がシイネツヒコと結婚して橘に吸収された。

神の白石(ツノガアラシト説話)(34)
ツノガアラシト説話の「神の白石」の挿話はタカ姫とアマノコヤネに関するものである。
前半部については、中国起源の説話が転載された可能性が高い。≫民間伝承「牽牛織女」
牛が物を背負っている:タカ姫と結婚したアメワカヒコには前妻との間の子があった。
※古事記の「大国主神話」で「オオナムチが袋を背負っている」のはこの記事と呼応している。
牛を先に殺した:タカ姫と結婚したアメワカヒコは暗殺された。
神の白石を持ち帰る:アマノコヤネはタカ姫と結婚した。
乙女は 東南きさに去る:アマノコヤネは一時帰国にあたってタカ姫との婚姻関係をいったん解消した。「東南に去る」とは、中国にいるアマノコヤネから見て東南の九州にいる、という意味。婚姻関係の解消というよりも、アマノコヤネの娘シラタマ姫が元服してミホヒコと結婚して9代女王に即位したことにより、8代女王タカ姫が退位したことを示しているとも考えられる。
ヤマト難波ナミハの 姫社ヒメコソの 宮よりでて 豊国トヨクニの 姫社宮ヒメコソミヤに 神となる:再渡来後のアマノコヤネとタカ姫の居場所を示す。ヤマト難波はアマノコヤネの居場所で佐賀市大和、姫社はタカ姫の居場所で佐賀県鳥栖市姫方町である。豊国の姫社宮とは紀の玉津宮(大分県豊後高田市玉津)である(古事記がヒボコの説話にアカル姫の暗号を組み込む)から、かなり下った時代の話である。
※なお、タカ姫がいた美濃(佐賀県嬉野市塩田町・美野地名あり)の北側に「佐賀県杵島郡白石町」があるのは偶然ではないだろう。≫古事記「喪屋を美濃へ」

この三人遣りて形を見せしむる(38)
オホノタケモロは春日のヤサカイリヒコ、キノウナデは石上(男系伊勢)のニシキイリヒコ、物部モノベナツハナは物部のウマシウチ。
ただし、ナツハナの名にはクニナツ(御笠(中臣)オオカシマ=日高見ミチノク)とハナ(橘ハナヒコ=島津ミチヒコ=オウス=ヤマトタケの一人)が融合されている。物部が日高見と橘と通じたという意味にもとれるが、「この三人」が物部・ナツ・ハナのことで、合計では五人いるという解釈も可能だろう。

信濃木曾路(39)
「一人御幸のヤマトダケ」から始まる説話だが、オウスの先祖・橘が神代にたどった道を総括している。オウスが橘の子孫であることを伝える暗号でもある。
信濃木曾路は山高く谷かすかにて:有明海沿岸(信濃木曾路)の頂点(山高く)には春日のアマノコヤネが立ち、九州連合の盟主の連合相手となった(谷かすかにて)。
九十九折り:カツラギは断絶した。
懸橋伝ひ馬行かず:春日は大物主との連合を解消した。
雲分け歩み飢え疲れ:橘はタカヒコネの后オクラ姫に男子が生まれなかったが、アメミチ姫との再婚によってなんとか男系が存続した。
峰の御饗になる白鹿しらか:橘のウサコ姫がアメタネコと結婚して春日の連合相手になった。
前に息吐き苦しむる:春日の連合相手だった大物主の子孫フキネに男子がなかった。
君は知ろして蒜一つ弾けば眼打ち殺す:クシミカタマを四国から呼び寄せて大物主の系譜を吸収した。
なお雲覆ひ道絶つを:ミチヲミの王位を返還させた。
火水の祓い三度宣る:中臣・橘・伊勢の女王連合脱退を断行した。
シナトの風に吹き払ふ:ナガスネヒコを討伐した。
神の白狗導きて美濃に出ずれば:中臣とともにホツマに遷った。
タケヒコも越より帰りここに会う:アメヒワケもホツマに遷った。