万葉集暗号一覧

【随時更新中】

2024年2月27日現在 115首掲載


三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや(万葉集1-18 額田王)
クシミカタマとミラ姫の婚姻が連合のため(雲)であったとしても、大物主(三輪山)と橘(鹿)を連合同盟から排除してよかったのだろうか(隠さふべしや)。≫考察記事

玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも(万葉集1-29 柿本人麻呂)
女王を象徴とする連合同盟は、神武天皇からその子孫が盟主を務めてきた。アマノコヤネの系譜・春日は、はるばる中国からやってきた大和を離れ、奈良山を越えて、どのような思いでか辺境に移った。そこへタケヒテルが新羅から近江国の大津の宮にやってきて新たな盟主となった。その后の大宮はここだと聞いても、大殿もここだと言っても、そこは春日の配流地であり、モモソ姫の大宮を見ると悲しい。≫考察記事

楽浪ささなみの 志賀の辛崎 さきくあれど 大宮人の 舟待ちかねつ(万葉集1-30 柿本人麻呂)
志賀島からからに渡るには絶好の日和りだったが、モモソ姫との間に生まれるはずだった子(大宮人)を連れていくことはかなわなかった。≫考察記事

白波の 浜松が枝の 手向草 幾代までにか 年の経ぬらむ(万葉集1-34 山上憶良)
春日の支配下(白波)で四国(浜)に配流された(草)カゴヤマ(松)の子(枝)タケフツが赦免されるまでにどれだけの歳月が過ぎただろう。≫考察記事

いざ子ども 早く日本やまとへ 大伴の 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ(万葉集1-63 山上憶良)
さぁ、イヒカリ姫(子ども)を早くクロハヤ(日本)へ。同盟国(大伴)の四国(御津の浜)のタケフツ(浜松)も待ち焦がれているだろう。≫考察記事

吾妹子を 早見浜風 大和なる 吾をまつ椿 吹かざるなゆめ(万葉集1-73 長皇子)
父タケフツ(松)と婚約相手ミチヲミ(椿)によって擁立されたイヒカリ姫が、大和(筑後平野)にいる私(クロハヤ)の妻(吾妹子)になるまで、クシミカタマによる政変(浜風)が続いてほしい(吹かざるなゆめ)。≫考察記事

うらさぶる 心さまねし ひさかたの 天のしぐれの 流らふ見れば(万葉集1-82 長田王)
うら寂しい気持ちが心に広がる。アマノコヤネ(の系譜)が配流されたのを見ると。≫考察記事

人はよし 思ひやむとも 玉葛 影に見えつつ 忘らえぬかも(万葉集2-149 倭大后)
人は追放された王族のことなどやがて忘れてしまうものだが、女王が即位するたびにその先祖として思い起こすことになるので、ホノススミのことは忘れられないだろう。≫考察記事【準備中】 ≫伊勢物語第21段

ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも(万葉集2-168 柿本人麻呂)
アマノコヤネの跡を継ぐ御子オシクモの針摺地峡(御門)の春日国(筑紫野市)が荒廃していくのは悲しいことだ。≫考察記事

楽浪ささなみの 志賀の津の子が 罷りの 川瀬の道を 見ればさぶしも(万葉集2-218 柿本人麻呂)
志賀島のタケヒテルが国外追放になり、新羅に向かう船が通った水尾を見ると寂しい気持ちになる。≫考察記事

淡路の 野島の崎の 浜風に 妹が結びし 紐吹きかへす(万葉集3-251 柿本人麻呂)
近江の多賀(淡路の野島の崎)のクシミカタマによる政変(浜風)で、イヒカリ姫(妹)とミチヲミの婚約(結びし紐)を解消させた(吹きかへす)。≫考察記事

天降あもりつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂くれしげに 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退まかり出て 遊ぶ船には 楫棹かぢさをも なくてさぶしも 漕ぐ人なしに(万葉集3-257 鴨足人)
アマノコヤネが渡来した九州ではアマノコヤネの一時帰国中の混乱(松風)やホノススミ(桜花)の追放(暗茂)、ホオテミとニニキネがトヨタマ姫(鴨妻)を召して、タカヒコネとアメミチ姫に4人の女王が生まれ(あぢ群騒ぎ)、春日(大宮人)も連合から外れて、九州連合を導く王はいなくなった。

桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟あゆちがた 潮干にけらし 鶴鳴き渡る(万葉集3-271 高市黒人)
四国のタケフツの結婚相手としてミチツル姫が擁立された。海洋王オオトシとその后オオイチ姫がいた卯川に配流されたホノススミの男系を断絶させたらしいスセリ姫の娘ミチツル姫が女王に擁立された。≫考察記事

磯の崎 漕ぎみ行けば 近江の海 八十の港に 鶴さはに鳴く(万葉集3-273 高市黒人)
ホノススミが西山陰(卯川)に配流されている間に、北九州では娘のミチツル姫が女王に擁立され、ついには中海の先の日野川を遡った黒坂(鳥取県日野町)に配流されることになった。≫考察記事

我が舟は 比良の港に 漕ぎ泊てむ 沖へな離りさ 夜更けにけり(万葉集3-274 高市黒人)
ミケイリは盟主の座に返り咲いた枚岡の春日アメタネコの側につくことになるだろう。トカクシが盟主だった時代は終わったのだから、トカクシの側についていてはいけない。≫考察記事

いづくにか 我は宿らむ 高島の 勝野の原に この日暮れなば(万葉集3-275 高市黒人)
ミケイリは天孫と住吉のどちらの後継者であることを選ぶべきなのだろうか。トカクシが勝者となり盟主となった連合同盟において天津日嗣のウカヤフキアワセズが崩御してしまって。≫考察記事

妹も我れも 一つなれかも 三河なる 二見の道ゆ 別れかねつる(万葉集3-276 高市黒人)
白髭の娘ミチツル姫と橘のシイネツヒコはともにソサノヲの子孫なので、白髭を橘に統合するのは自然なことだ。北九州のシイネツヒコのもとにいるミチツル姫の進退を、西山陰のホノススミの意向に任せるわけにはいかない。≫考察記事

我妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ(万葉集3-279 高市黒人)
ヤセ姫(我妹子)と結婚した時には賀茂(猪名野)にいたミケイリは、住吉の後継者の立場のまま竈山に配流されてしまったが(名次山)、いつかは葛野(角の松原)に戻りたいと思っている。≫考察記事

いざ子ども 大和へ早く 白菅の 真野の榛原 手折りて行かむ(万葉集3-280 高市黒人)
さあタケヒト、ソサノヲが出雲国を建国した日田盆地の榛原にいるミケイリの系譜を統合して、早く天皇に即位しよう。≫考察記事

白菅の 真野の榛原 行くさ来さ 君こそ見らめ 真野の榛原(万葉集3-281 高市黒人妻)
ソサノヲが出雲国を建国した日田盆地の榛原。ミケイリだからこそその榛原に配流されることになったのだろう。≫考察記事

我が命し ま幸くあらば またも見む 志賀の大津に 寄する白波(万葉集3-288 穂積老)
私の命が無事であったならば、志賀の大津を都とする天皇が春日と連合するのをまた見たいものだ。≫考察記事

意宇おうの海の 河原の千鳥 汝が鳴けば 我が佐保川の 思ほゆらくに(万葉集3-371 門部王)
ウカヤフキアワセズ(千鳥)が近江(意宇おうの海)の多賀(福岡県糸島市)で即位することになり、配流されていた大丹生(佐賀県唐津市七山)が思い出されるよ。≫考察記事①

ぬばたまの その夜の梅を た忘れて 折らず来にけり 思ひしものを(万葉集3-392 大伴百代)
四国のイヒカリ姫(ぬばたま)を娶ったクロハヤ(ニギハヤヒの系譜=梅)は、タケヒト(神武天皇)とタタライソスス姫の婚姻により天孫嫡系に吸収される(折る)はずだったのに、新体制のもとで連合国の一員となった。≫考察記事

我妹子わぎもこが やどの橘 いと近く 植ゑてし故に ならずはやまじ(万葉集3-411 坂上郎女)
橘のタカヒコネと再婚したアメミチ姫は、ホノアカリの前妻であり、アメミチ姫が生んだ女子を息子ニギハヤヒの后に迎えることができないなどということがあってはいけない。

かけまくも あやに畏し 我が大君 皇子の命の もののふの 八十伴の男を 召し集へ あどもひたまひ 朝狩に 鹿猪しし踏み起し 夕狩に 鶉雉とり踏み立て 大御馬おほみまの 口抑へとめ 御心を あきらめし 活道山いくぢやま 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間よのなかは かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀 腰に取り佩き 梓弓 ゆき取り負ひて 天地あめつちと いや遠長に 万代よろづよに かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿さばへなす 騒く舎人とねり白栲しろたへに 衣取り着て 常なりし ひ振舞ひ いや日異ひけかはらふ見れば 悲しきろかも(万葉集3-478 大伴家持)
(一部)天皇家は、シイネツヒコ(八十伴)とともに、ミケイリ(猪)、ミチヲミ(鶉)を連合から排除し、春日(馬)の発言権を封じた。それまでは複数の女王位が並立し、春日の采配のもとで賑やかにやってきたのが、すっかり変わってしまったのは悲しくてたまらない。

意宇おうの海の 潮干の潟の 片思に 思ひや行かむ 道の長手を(万葉集4-536 門部王)
ホノススミの男系を断絶させることになったスセリ姫との結婚で生まれた娘ミチツル姫について、タケフツとの結婚を模索したが失敗し、ホノススミは卯川(下関市豊浦町)に、さらには長い道のりを行く中海の先の日野川を遡った黒坂(鳥取県日野町)に配流されることになった。≫考察記事

さ夜中に 友呼ぶ千鳥 物思ふと わびをる時に 鳴きつつもとな(万葉集4-618 大神郎女)
配流された(さ夜中に)ウカヤ(千鳥)が配流先で(わびをる時に)連合復帰を求めたが(友呼ぶ)空しいことだった。≫考察記事

千鳥鳴く 佐保の川門の 清き瀬を 馬うち渡し いつか通はむ(万葉集4-715 大伴家持)
玉島川(佐保川)の大丹生(川門)にいるウカヤ(千鳥)は、いつか春日(馬)の連合相手になるだろう。≫考察記事

梅の花 咲きたる園の 青柳は かづらにすべく なりにけらずや(万葉集5-817 粟田大夫)
物部(梅の花)が復権した九州連合(園)では、橘(青柳)は葛城(蘰)と同じように連合から排除されることになったではないか。

青柳 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし(万葉集5-821 沙弥満誓)
ニギハヤヒ(梅)追放のきっかけを作った橘(青柳)は失脚するのもしかたない。

我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも(万葉集5-822 大伴旅人)
九州王権ではオオトシの系譜(梅)が天孫ホノアカリの系譜に統合されたが(花散る)、中国から再渡来したアマノコヤネ(ひさかたの天)に男子が生まれて次期盟主となるのだろうか(雪の流れ来るかも)。≫考察記事

梅の花 散らまく惜しみ 我が園の 竹の林に うぐひす鳴くも(万葉集5-824 小監阿氏奥嶋)
クロハヤ(梅)の后となったイヒカリ姫が連合女王になれなかったのを惜しむように、ミケイリ(竹の林)の娘アヒラツ姫がタケヒトと結婚し、連合女王になった。

梅の花 咲きたる園の 青柳を かづらにしつつ 遊び暮らさな(万葉集5-825 小監土氏百村)
物部(梅の花)を復権させて、橘(青柳)を連合から排除しよう。

うちなびく 春の柳と 我がやどの 梅の花とを いかにか分かむ(万葉集5-826 大典史氏大原)
中臣(春)に支持された橘(柳)と、天孫(我がやど)の物部(梅の花)の、どちらがいいかなど決められない。

春されば 木末こぬれ隠りて うぐひすぞ 鳴きてぬなる 梅が下枝しづえ(万葉集5-827 小監阿氏奥嶋)
春日が中臣となって東九州に去り(春去る)、追放されていた(去ぬなる)物部(梅)が最下位(下枝)ではあるが女王連合に加わった(鳴く)。

春の野に 鳴くや鴬 なつけむと 我が家の園に 梅が花咲く(万葉集5-837 笇師志氏大道)
春日の主導でその処遇が検討されているタカヒコネとアメミチ姫の間に生まれた4人の女子のうちの誰か()を娶ることをニギハヤヒ(梅の花)は望んでいる。

春柳 かづらに折りし 梅の花 れか浮かべし 酒坏さかずき(万葉集5-840 壱岐目村氏彼方)
中臣(春)と橘(柳)を葛城(蘰)のように連合から排除したが、物部(梅の花)は誰が連合(酒杯の上)に復帰させた(浮かべた)のだろうか。

鴬の 音聞くなへに 梅の花 我家の園に 咲きて散る見ゆ(万葉集5-841 對馬目高氏老)
タカヒコネとアメミチ姫の四人の女子が女王に即位するたびに、ニギハヤヒが大王候補になっては即位できないということが続いた。

我がやどの 梅の下枝に 遊びつつ 鴬鳴くも 散らまく惜しみ(万葉集5-842 薩摩高氏海人)
何度も女王との結婚のチャンスがあったのに、結局ニギハヤヒは大王にはなれなかった。

鴬の 待ちかてにせし 梅が花 散らずありこそ 思ふ子がため(万葉集5-845 門氏石足)
結局女王と結婚することがかなわかったニギハヤヒには、これで失脚しないでほしい。

残りたる 雪に交れる 梅の花 早くな散りそ 雪は消ぬとも(万葉集5-849 大伴旅人)
物部(梅の花)の追放が解除され、中臣(雪)が九州東岸(日高見=京都平野)に移るのと入れ替わるように九州の磯城(平塚川添遺跡)に戻ってきた。

雪の色を 奪ひて咲ける 梅の花 今盛りなり 見む人もがも(万葉集5-850 大伴旅人)
中臣(雪)と入れ替わりで筑後平野に戻ってきた物部(梅の花)は今が盛りだ。

ぬばたまの 夜のふけぬれば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く(万葉集6-925 山部赤人)
女王が四国に去って久しい時代に、ウカヤ(千鳥)はしばらく大丹生に配流されていた。≫考察記事

玉藻刈る 唐荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はずあらむ(万葉集6-943 山部赤人)
カゴヤマの視点から。女王トヨタマ姫(玉藻)を輩出した壱岐対馬(唐荷の島=韓似?)にやってきて、もし自分がウカヤフキアワセズ(鵜)であれば、家(九州本土)のことを思い出したりはしないのに。

島隠り 我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上る ま熊野の船(万葉集6-944 山部赤人)
カゴヤマは配流先の宇土から壱岐対馬に(島隠り)みすぼらしい船でやってきたのに、ウカヤフキアワセズは立派な船(御熊野とは天皇家に匹敵するの意か)で九州本土(大和)に向かうことになった。

風吹けば 波か立たむと さもらひに 都太の細江に 浦隠り居り(万葉集6-945 山部赤人)
タカヒコネとアメミチ姫の間に4人もの女王候補が生まれたので(風吹けば)、自分にも大王即位の機会がめぐってくるかもしれないと(波か立たむと)、配流先の宇土でその機会を窺っていた。
※「浦」によって、その人物が「浦島子」であることを伝えている。

ますらをと 思へる我れや 水茎の 水城の上に 涙拭はむ(万葉集6-968 大伴旅人)
アマノコヤネの系譜が水城のある層富(春日市~筑紫野市)から九州東岸に東遷したことを知らせると同時に、日本書紀に記された「水城」は本当は運河(水茎)の付属施設であることを伝えている。

ぬばたまの 夜霧の立ちて おほほしく 照れる月夜の 見ればかなしさ(万葉集6-982 大伴坂上郎女)
大王に即位したカンタチ(霧=桐の立ちて)には女子が生まれなかった一方、反乱者を配流した四国(ぬばたま)で正統女王の血を引くセヤダタラ姫が生まれるとは(照れる月夜)やりきれない思いだ。≫考察記事

ぬばたまの 夜渡る月を 留めむに 西の山辺に 関もあらぬかも(万葉集7-1077 作者不詳)
四国(ぬばたま)のイヒカリ姫(月)が吉備高島(西の山辺)のミチヲミと婚約したが(渡る)、なんとか止められないだろうか。≫考察記事

霜曇り すとにかあるらむ ひさかたの 夜渡る月の 見えなく思へば(万葉集7-1083 作者不詳)
アマノコヤネが息子のオシクモを盟主にしようとしているからだろうか。なぜワカ姫の血統を継承したサルタヒコの系譜が遠い四国に配流されたのかと思ったら。≫考察記事

ぬばたまの 夜去り来れば 巻向の 川音高しも あらしかも疾き(万葉集7-1101 柿本人麻呂)
四国で継承された女王(ぬばたまの夜)が九州に来ることになり、クロハヤのいる磯城(巻向)が活気づいている(川音高し)のは政変のせいか(嵐かも疾き)。≫考察記事

住吉の 名児なごの浜辺に 馬立てて 玉拾たまひりひしく 常忘らえず(万葉集4-1153 作者不詳)
大物主のミホヒコの視点から。海洋王カナサキの北の津・名護屋の地にやってきたアマノコヤネと連合して(馬立てて)その娘シラタマ姫を娶ることになった(玉を拾った)ことは忘れられない。
※古事記「大国主神話>ヌナカワ姫」の暗号と呼応している。

年魚市潟あゆちがた 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ(万葉集7-1163 作者不詳)
ホノススミと結婚し、その男系の断絶、西山陰への配流のきっかけとなったスセリ姫と同じ茅宮で、姉アサ姫もトカクシと結婚したのだ。≫考察記事

潮干れば ともに潟に出で 鳴く鶴の 声遠ざかる 磯廻いそみすらしも(万葉集7-1164 作者不詳)
ホノススミとスセリ姫の間には男子が生まれず、女子ミチツル姫を女王に擁立しようとしたが、ホノススミは西山陰(卯川)に配流されてしまったらしいなぁ。≫考察記事

天霧らひ ひかた吹くらし 水茎の 岡の港に 波立ちわたる(万葉集7-1231 作者不詳)
神武東征神話に記される「崗水門(紀)」「岡田宮(記)」が穴門の豊前海側の入口にあることを示す。「ひかた」は「日方」で「日(豊前海)」のほう。ほとんどの運河(茎)は外洋に面しておらず、運河の港に波は立たない。特に豊前海からの風を受けて波が立つのはこの場所しかない。「水茎」の「水」は河川舟運ではなく海洋ネットワークの一部であることを意味するか。

我妹子わぎもこと 見つつ偲はむ 沖つ藻の 花咲きたらば 我れに告げこそ(万葉集7-1248 柿本人麻呂)
タマヨリ姫との婚姻がかなわなかった物主フキネの視点から。トカクシ(沖つ藻)に女王候補(花)が生まれたら知らせてほしい。

あしひきの 山椿咲く 八つ峰越え 鹿待つ君が 斎ひ妻かも(万葉集7-1262 作者不詳)
九州の連合同盟(あしひきの山)で四国王トカクシ(椿)が勢力を強める(咲く)中で、連合相手を変更し(八つ峰越え)橘(鹿)と連合を組もうとしている(待つ)春日アメタネコ(君)が結婚するウサコ姫(妻)であるよ。≫考察記事

住吉の 波豆麻の君が 馬乗衣 さひづらふ 漢女あやめを据ゑて 縫へる衣ぞ(万葉集7-1273 柿本人麻呂)
住吉のアマツヒコネ(波豆麻の君)は、アマノコヤネ(馬)渡来による連合同盟の再編(馬乗衣)で、サルタヒコの娘ウケステメ(漢女)を女王に擁立して大王に即位した(衣)。≫考察記事

見まくり 恋ひつつ待ちし 秋萩は 花のみ咲きて ならずかもあらむ(万葉集7-1364 作者不詳)
中臣の子孫であるユリ姫が女王に擁立されたが、中臣の連合復帰はないのだろうか。

我妹子わぎもこが やどの秋萩 花よりは 実になりてこそ 恋ひまさりけれ(万葉集7-1365 作者不詳)
中臣の子孫から女王が擁立されるだけでなく、中臣が連合復帰することが望まれる。

春日山山高くあらし岩の上のすがの根見むに月待ちかたし(万葉集7-1373 作者不詳)
アマノコヤネ(春日山)主導で処遇を決めたタカヒコネの女子たち(山高くあらし)のひとりを、女王(月)として迎えるのをホノススミ(須賀、根国)は待ちきれない。

霜雪も いまだ過ぎねば 思はぬに 春日の里に 梅の花見つ(万葉集8-1434 大伴三林)
アマノコヤネの子孫(雪)が実権を握ったままであるにもかかわらず、思いがけずタギシミミの「春日」と物部(梅の花)の連合が成立した。
※「春日の里」とあるのはタギシミミの春日も流されていたため、辺境の地にあったことを示す。

霞立つ 春日の里の 梅の花 山のあらしに 散りこすなゆめ(万葉集8-1437 大伴宿祢村上)
春日アマノコヤネとその子オシクモ(霞)が主導権を握る九州(春日の里)で起きた王位継承争い(山のあらし)で、ニギハヤヒ(梅の花)が大王位につくことができない(散る)ようなことがあってはならない。

霞立つ 春日の里の 梅の花 花に問はむと 我が思はなくに(万葉集8-1438 大伴駿河麻呂)
春日アマノコヤネとその子オシクモ(霞)が主導権を握る九州(春日)で、辺境(里)に配流されていたニギハヤヒ(梅の花)は大王になることができなかったが、大王になることがすべてではない。

風交り 雪は降るとも 実にならぬ 我家わぎへの梅を 花に散らすな(万葉集8-1445 坂上郎女)
12代女王即位問題(風交じり)に続いて13代女王即位にあたっても、アマノコヤネはニニキネの子孫を優遇して春日オシクモの娘ヤセ姫をウカヤフキアワセズと結婚させた(雪は降る)が、そのことでニギハヤヒを失脚させないようにしろ(梅を花に散らすな)。

やどにある 桜の花は 今もかも 松風早み 地に散るらむ(万葉集8-1458 厚見王)
ソサノヲ嫡系から擁立されたスガタ姫(桜の花)は、アマノコヤネの一時帰国中の混乱(松風早み)で、ホノアカリに離縁されて女王位を廃位されてしまった(地に散る)。

霍公鳥ほととぎす いたくな鳴きそ が声を 五月の玉に あへくまでに(万葉集8-1465 藤原夫人)
ミチツル姫の女系子孫は、ユリ姫が女王に擁立するまで、ウサコ姫、ヌナタケ姫とその血統をつないできた。

霍公鳥ほととぎす なかる国にも 行きてしか その鳴く声を 聞けば苦しも(万葉集8-1467 弓削皇子)
女王連合から脱退した中臣にしてみれば、自らの子孫である姫が女王の座につくことには複雑な思いもあるだろう。

霍公鳥ほととぎす 来鳴きとよもす 卯の花の 伴にや来しと 問はましものを(万葉集8-1472 石上堅魚)
ミチツル姫(霍公鳥)が女王に即位した(鳴き響もす)が、それは父ホノススミ(卯の花)の意向なのかと聞いてみたいものだ。≫考察記事

卯の花の 過ぎば惜しみか 霍公鳥ほととぎす 雨間あままも置かず こゆ鳴き渡る(万葉集8-1491 大伴家持)
ホノススミの系譜(卯の花)が断絶したことを惜しむ間もなく、ミチツル姫の娘ウサコ姫は春日アメタネコと結婚した。

霍公鳥ほととぎす 鳴く峰のの 卯の花の きことあれや 君が来まさぬ(万葉集8-1501 小治田朝臣廣耳)
ミチツル姫が生まれたホノススミに不穏な動きがあったので、大王に即位したウカヤフキアワセズは用意された多賀宮に入ることがなかった。

天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解きけな(万葉集8-1518 山上憶良)
中国側の視点で、東シナ海を挟んだ九州からミホヒコがやってくるので、シラタマ姫の紐解きの儀式を行わなければ。≫考察記事

梅の花 枝にか散ると 見るまでに 風に乱れて 雪ぞ降り来る(万葉集8-1647 忌部黒麻呂)
12代女王即位問題(風に乱れて)に続いて13代女王即位にあたっても、アマノコヤネはニニキネの子孫を優遇して春日オシクモの娘ヤセ姫をウカヤフキアワセズと結婚させた(雪ぞ降る)が、そのことでもはやニギハヤヒの命運は尽きたように見える(散ると見るまでに)。

梅の花 散らすあらしの 音のみに 聞きし我妹わいもを 見らくしよしも(万葉集8-1660 大伴駿河麻呂)
ニギハヤヒが大王に即位できなかった(梅の花散らす)12代女王即位問題(あらし)で、最後に女王に即位したミハオリ姫(我妹)と結婚できてうれしい。
※右の解釈が正しければ、主体はホオテミである。

天の原 雲なき夕に ぬばたまの 夜渡る月の 入らまく惜しも(万葉集9-1712 作者不詳)
四国(ぬばたま)のイヒカリ姫(月)が、九州の連合同盟(天の原)の連合構成国ではない(雲なき)ニギハヤヒの系譜(夕=筑後平野)に嫁ぐ(渡る、入る)ことになったのは惜しいことだ。≫考察記事

あどもひて 漕ぎ行く舟は 高島の 安曇あどの港に てにけむかも(万葉集9-1718 高市黒人)
住吉安曇のミケイリと盟主連合を組んでいた吉備高島のトカクシが有明海から四国に配流された時には、安曇の本拠地である北九州に寄港していったのだろうか。≫考察記事

春の日の 霞(かす)める時に 墨吉すみのへの 岸に出で居て 釣船の とをらふ見れば いにしへの 事ぞ思ほゆる 水江みづのへの 浦島の子が 堅魚かつを釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境うなさかを 過ぎて漕ぎ行くに 海若わたつみの 神のをとめに たまさかに い漕ぎ向ひ あひあとらひ こと成しかば かき結び 常世に至り 海若の 神の宮の 内のの 妙なる殿あらかに たづさはり ふたり入り居て おひもせず 死にもせずして 永き世に ありけるものを 世間よのなかの 愚人おろかひと吾妹子わぎもこに げて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事もかたらひ 明日のごと 吾は来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺とこよへに また帰り来て 今のごと 逢はむとならば このくしげ 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 墨吉すみのへに 還り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三歳みとせほどに 垣もなく 家せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉篋たまくしげ 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に 棚引きぬれば 立ち走り 叫び袖振り こひまろび 足ずりしつつ たちまちに こころ消失かうせぬ 若くありし 膚も皺みぬ ぐろかりし 髪もしろけぬ ゆなゆなは 気さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江みづのへの 浦島の子が 家地いへところ見ゆ(万葉集9-1740 髙橋虫麻呂)
カゴヤマ(浦嶋子)はオトタマ姫と結婚するために壱岐対馬(常世)に向かった(カゴヤマはそこでウカヤフキアワセズの存在を知った。≫丹後国風土記逸文「浦嶼子」)。そのままでいれば、住吉の後継者として安泰であったのに(永き世にありけるものを)、カゴヤマはウカヤの存在を暴露する(父母に事を語らう=ウカヤの両親であるホオテミとトヨタマ姫に伝える)ために、九州に戻ることにした。だが。九州にはもはやカゴヤマの居場所はなかった(垣も家もない)。ところがその後、カゴヤマとオトタマ姫の孫娘イヒカリ姫が女王に即位し、孫タカクラシタもずっと後になって大王に即位することになった(白雲が棚引く)。
※カゴヤマの推定年齢は、イヒカリ姫女王即位時が118穂(59歳半)、タカクラシタ大王即位時が173穂(87歳)である。孫の即位の知らせを聞いて大喜びし、それから間もなく亡くなったということであれば、それはタカクラシタ大王即位の知らせであったと考えられる。
※「立ち走り 叫び袖振り こひまろび 足ずりし」は悔しさの表現ととるのが定説であるが、喜びの表現ととることも可能である。
※カゴヤマがいきなり年を取るのは、孫の即位の知らせを受け取ったのがずっと後のことで、カゴヤマが高齢になっていたことを知らせるためである。

(反歌)常世辺とこよへに 住むべきものをつるぎ太刀たちが心から おそやこの君(万葉集9-1741 髙橋虫麻呂)
オトタマ姫の夫となり住吉の後継者として壱岐(常世辺)にずっと住めばよかったのに、女王との結婚による大王位(剣や太刀)を望んだばかりに宇土(おそ曾於そお)に配流されたカゴヤマ(君)。

うぐひすの かひごの中に 霍公鳥ほととぎす 独り生まれて が父に 似ては鳴かず が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔けり 来鳴きとよもし 橘の 花を居散ゐちらし ひねもすに 鳴けど聞きよし まひはせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥(万葉集9-1755 高橋虫麻呂)
タカヒコネとアメミチ姫が生んだ四女王(鶯)の娘のひとりであるミチツル姫(霍公鳥)は、父ホノススミも母スセリ姫も王位を剥奪されてしまったが、卯川宮を出て橘のもとに来れば女王に復権させよう、四国のタケフツとなど結婚するな(遠くに行くな)、橘の后になれ。

かきらし 雨の降る夜を ほととぎす 鳴きて行くなり あはれその鳥(万葉集9-1756 高橋虫麻呂)
上の歌の反歌。「雨の降る夜」で、ホツマツタヱで「ミチツル姫の結婚相手、橘のシイネツヒコが蓑と笠をかぶっていたこと」と結びつけている。なお、「雨」と「蓑笠」は、ソサノヲの「雨を恐れて蓑笠を脱がなかった」という説話によって結びついている。

冬こもり 春去り来れば あしひきの 山にも野にも 鴬鳴くも(万葉集10-1824 作者不詳)
一時帰国(冬こもり)していたアマノコヤネ(春)が再渡来した(去り来れば)九州の連合同盟(あしひきの山)では、同盟国(山)にも後に同盟から排除された国(野)にも、タカヒコネとアメミチ姫の四姉妹(鴬)が女王として擁立された(鳴く)。≫考察記事

梅の花 咲き散り過ぎぬ しかすがに 白雪庭に 降りしきりつつ(万葉集10-1834 作者不詳)
物部ウマシマチ(梅の花)が追放された後も、九州は引き続きアマノコヤネの子孫(白雪)の支配下にあった。

青柳の 糸のくはしさ 春風に 乱れぬい間に 見せむ子もがも(万葉集10-1851 作者不詳)
タカヒコネ(青柳)の4人の女子(糸のくはしさ)の処遇について、アマノコヤネの政治判断(春風)で混乱してしまう前に、結婚相手を決めることができていたらなぁ。

梅の花 取り持ち見れば 我が宿の 柳のまよし 思ほゆるかも(万葉集8-1853 作者不詳)
ニギハヤヒ(梅の花)を大王候補とする場合には、タカヒコネの女子(柳の眉)を女王として迎えることを想定していた。
※12代女王が擁立する大王候補にニギハヤヒが含まれていたことを示している。

がかざす 柳の糸を 吹き乱る 風にかいもが 梅の散るらむ(万葉集10-1856 作者不詳)
春日オシクモ(我)がタカヒコネとアメミチ姫の再婚によって生まれた4人の女子の長女を娶り、その妹たちが12代女王に即位する(柳の糸を吹き乱る風)にあたって、ニギハヤヒ(梅)は誰とも結婚できず大王に即位できなかった。

うつたへに 鳥は食まねど 縄へて らまく欲しき 梅の花かも(万葉集10-1858 作者不詳)
必ずしも山陰土着勢力(鳥)が攻めてくる(食む)とは限らないが、国境の守りを固めて(縄延へて)物部ウマシマチ(梅の花)を守ってやってほしい。

梅の花 咲きて散りなば 我妹子わぎもこを 来むか来じかと 我が松の木ぞ(万葉集10-1922 作者不詳)
ニギハヤヒ(梅の花)の大王即位が見送られ、カゴヤマ(松の木)が女王との結婚を今か今かと待っている。

五月山 卯の花月夜 霍公鳥ほととぎす 聞けども飽かず また鳴かぬかも(万葉集10-1953 作者不詳)
かつてホノススミのもとから橘に嫁いだ女王ミチツル姫(霍公鳥)がいたが、またその血統から女王が出てくれないか。

雨晴れの 雲にたぐひて 霍公鳥ほととぎす 春日をさして こゆ鳴き渡る(万葉集10-1959 作者不詳)
シイネツヒコに嫁いだミチツル姫の娘ウサコ姫が、春日アメタネコと結婚した。

春日野の 藤は散りにて 何をかも み狩の人の 折りてかざさむ(万葉集10-1974 作者不詳)
春日が頂点に立つ九州王権(春日野)は女王位統一を目指してきたが、サルタヒコの子孫ミチヲミの連合脱退(藤が散る)によって、タケヒト(御狩りの人)が連合から排除すべき王族はもはやなくなった。

ひさかたの 天つしるしと 水無し川 隔てて置きし 神代し恨めし(万葉集10-2007 柿本人麻呂)
アマノコヤネがその都(天つしるし)を置いた春日国は、オモイカネの都・天安河宮(神代)とは針摺運河(水無し川)を隔てた対岸にあったが、そのオモイカネの系譜を統合したサルタヒコの系譜の嫡子トカクシによって、春日は盟主の座を追われることになった。≫考察記事

ぬばたまの 夜霧隠りて 遠けども 妹が伝へは 早く告げこそ(万葉集10-2008 柿本人麻呂)
カンタチの時代(霧=桐)から配流されていた(隠りて)遠い四国(ぬばたま)で生まれた正統女王の血を引くイヒカリ姫(妹が伝へ)を早く女王に擁立してほしい(早く継げこそ)。≫考察記事

天の川 白波しのぎ 落ちたぎつ 早瀬渡りて 若草の 妻を巻かむと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫の子が あらたまの 年の緒長く 思ひ来し 恋尽すらむ …(万葉集10-2089 作者不詳)
前半部はタカ姫の後を追って九州に戻ったアマノコヤネのことであるが、後半部はシラタマ姫が長い婚約期間を経て、東シナ海を渡り、ようやく九州にやってきたということを伝えている。
※「その夫の子」は「その妻の子=夫自身」と解釈するのが定説だが、字義通り「夫の子」でアマノコヤネの子シラタマ姫のことをさす。
※「あらたま」は新しい女王の血統の意味で、海幸山幸の「新鉤」に対応する。

春日野の 萩し散りなば 朝東風の 風にたぐひて ここに散り来ね(万葉集10-2125 作者不詳)
中臣(萩)は連合から脱退して東九州に移ってしまったが、その血を引く女王に戻ってきてほしい。

秋風の 日に異に吹けば 水茎の 岡の木の葉も 色づきにけり(万葉集10-2193 作者不詳)
安芸の国が日(豊前海沿岸)と食(山陰・四国)に面していること、シイネツヒコの地であることを示す。

黄葉もみぢする 時になるらし 月人の 桂の枝の 色づく見れば(万葉集10-2202 作者不詳)
ついにタケフツが復権する時がきたらしい。ワカ姫の血を引くイヒカリ姫が盟主連合の女王候補になったのを見れば。≫考察記事

雁がねの 寒く鳴きしゆ 水茎の 岡の葛葉は 色づきにけり(万葉集10-2208 作者不詳)
神武天皇(雁)がやってきたと偽って記された(寒く鳴く)「岡の港/岡田宮」は葛原(北九州市小倉北区葛原)の近くにあることを示す。

雁がねの 寒く鳴きしゆ 春日なる 御笠の山は 色づきにけり(万葉集10-2212 作者不詳)
「春日なる御笠の山」がアマノコヤネの系譜に関する場所で天皇家の事績ではないように、「岡の港/岡田宮」も天皇家の事績ではなく、アマノコヤネの系譜の事績であることを伝える。2208を補完する一首であると考える。

玉響に 昨日の夕 見しものを 今日の朝に 恋ふべきものか(万葉集11-2391 柿本人麻呂)
ミススヨリ姫の女王擁立によって(玉響に)、昨日は筑紫(夕=月)で見たのに、今日は日高見・日隅(朝=日)にいて、恋しく思うことになるとは。≫考察記事

君来ずは 形見にせむと 我がふたり 植ゑし松の木 君を待ち出でむ(万葉集11-2484 柿本人麻呂)
ホノアカリは大王になることができなかったが、アメミチ姫が生んだ息子カゴヤマが大王になる日を待つことにしよう。

うたがたも 言ひつつもあるか 我れならば 地には落ちず 空に消なまし(万葉集12-2896 作者不詳)
ホノススミは在来王族の地に配流されて女王位継承権のない女子との間にようやく男子をもうけたようだが、私だったら同盟外の王族として生き残るより、女王連合同盟の上位の王族に統合されることを選ぶだろう。≫考察記事【準備中】

水茎の 岡の葛葉を 吹きかへし 面知る子らが 見えぬころかも(万葉集12-3068 作者不詳)
穴門の岡の港に豊前灘から吹きつけた風(ひかた。1231)が吹き返したとして、春日と橘(面知る子ら)が豊前灘沿岸に遷ったことを示す。

紫草むらさきを 草と別く別く 伏す鹿の 野は異にして 心は同じ(万葉集12-3099 作者不詳)
橘は女王の居場所(大和難波)から離れた場所(相模の小野)に配流され、中央(枚岡)に戻った春日の居場所も遠く離れてしまったが、女王たちが橘の姫たちであることも、春日との連合関係も、変わることはない。≫考察記事①

ひさかたの 都を置きて 草枕 旅行く君を いつとか待たむ(万葉集13-3252 作者不詳)
遠く都を離れ配流されてしまった王を、いつ帰るかと待っている。≫考察記事

安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに(万葉集16-3807 作者不詳(采女))
天坂の貯水池は影が見えるほど浅いが、私の心はその貯水池のように浅いものではない。≫考察記事

昨日こそ 船出はせしか 鯨魚いさな取り 比治奇ひぢきの灘を 今日見つるかも(万葉集17-3893 作者不詳)
古事記の黄泉国神話の暗号を補完する暗号である。イサナミを迎えに行ったイサナギが黄泉津軍に追われて退却し、追いかけてきたイサナミと向き合い絶交した場所「千引ちびきいし」の「チビキ」が「ヒヂキの灘(現在の響灘)」のアナグラムであることを知らせる暗号となっている。ちなみに「石」は響灘沿岸にある「石峠いしだお」のことである。「鯨魚いさな取り」は「イサナミを迎えに行ったこと」と呼応しており、暗号の存在を示唆するための手がかりになっている。なお、古事記の「千引の岩(石)」はホツマツタヱの別の箇所(国譲り神話)から移動したものである。

遊ぶ内の 楽しき庭に 梅柳 折りかざしてば 思ひなみかも(万葉集17-3905 大伴書持)
九州内の混乱に翻弄されたニギハヤヒ(梅)やタカヒコネ(柳)に対して思うことはないのだろうか。

ぬばたまの 夜は更けぬらし 玉櫛笥 二上山に 月かたぶきぬ(万葉集17-3955 土師宿禰道良)
正統女王ワカ姫の血を引くタマクシ姫(玉櫛笥)の血統が四国(ぬばたま)に去ってしまい(夜は更けぬらし)、日高見の安(二上山)のタカ姫の娘フテミミの血統(月)も途絶えようとしている(かたぶきぬ)。≫考察記事

我妹子わぎもこが 形見の合歓木ねぶは 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも(万葉集18-4051 大伴家持)
中臣アメタネコの后ウサコ姫の子孫からユリ姫が女王に擁立されたが、中臣の連合復帰はきっとないのだろう。

二上ふたがみの 山に隠れる 霍公鳥ほととぎす 今も鳴かぬか 君に聞かせむ(万葉集18-4067 遊行女婦土師)
日高見(二上)にいるユリ姫を綏靖天皇の后にしましょう。

夜ぐたちに 寝覚めて居れば 川瀬尋(と)め 心もしのに 鳴く千鳥かも(万葉集19-4146 大伴家持)
ウカヤ(千鳥)は赦免されて配流を解かれたものの(寝覚めて居れば)、その場所(川瀬)にとどまった(留め)。≫考察記事

春日野に いつく三諸の 梅の花 さかえてあり待て 帰りくるまで(万葉集19-4241 藤原清河)
新たに「春日」となったタギシミミの系譜と連合を組む(斎く)ことになった西山陰(三諸)の物部(梅の花)は九州に帰る日が来るまで力を貯えよ。

言繁ことしげあひ問はなくに 梅の花 雪にしをれて うつろはむかも(万葉集19-4282 石上宅嗣)
12代女王ヤセ姫がウカヤフキアワセズと結婚して以来(雪に萎れて)、ニギハヤヒにはなす術もないまま(言繁み相問はなくに)、13代女王即位時に春日オシクモの子アメタネコがタカヒコネの孫ウサコ姫と結婚した(ウツロ食む)。
※「移ろう」の変化形「うつろはむ」と「ウツロ食む」を掛けている例は古今和歌集にも見出せる。≫古今和歌集暗号

川渚にも 雪は降れれし 宮の内に 千鳥鳴くらし 居む所なみ(万葉集19-4288 大伴家持)
大丹生(川渚)にいたウカヤ(千鳥)は春日の連合相手になったが(雪は降れしし)、九州王嫡系のために用意した多賀宮に入る間もなく、宮崎(宮の内)に配流された。≫考察記事

夕霧に 千鳥の鳴きし 佐保路をば 荒しやしてむ 見るよしをなみ(万葉集20-4477 圓方女王)
春日オシクモ(霧=桐)が大物主カンタチ(夕)との連合を解消してウカヤ(千鳥)と連合を組んだことで、ウカヤがいた(鳴きし)大丹生を通る舟運路(佐保路)は荒れるにまかせることになるのだろうか。≫考察記事