ホツマツタヱの紀年法

ホツマツタヱの年代記述は二倍年暦によっている。
単位には「穂、年」が用いられるが、当サイトでは、原文の引用を除いて、二倍年暦で年数を記す際には便宜的に単位を「穂」に統一して記す。

キアヱ紀年法

60穂(30年)周期の循環紀年法。
四方位表現「キツサネ(東西南北)」に「ヲ(中央)」を加えた「キツヲサネ」、五臓六腑の六腑を表す「アミヤシナウ」、「兄と弟、北と南、冬と夏」を表す「ヱト」を組み合わせたものである。
その初年(「初穂」)は「キアヱ」、最終年(「極年きわとし」)は「ネウト」である。
なお、ツアヱ紀年法による年代記述はきわめて正確である。

アスス暦

アマテル崩御の翌年(前172年、キアヱ)を初年とする紀元。
アマノコヤネが制定した(制定はキナヱ、アスス21穂)。
なお、当サイトでは、アスス暦制定前の紀年法として、アマテルの誕生年(前277年、キシヱ)を初年とする紀元を便宜的に採用する。

真榊紀年法

いわゆる神代の記述に用いられる、真榊の枝の長さで測るとされる紀年法。
「鈴・枝・穂」を単位とする。
六十穂で一枝、千枝で一鈴(六万穂)と記されるが、神話であることを利用した攪乱である。
実際には、一鈴は六穂であり、十鈴でキアヱ紀年法の一回り(60穂=30年)にあたる。
年代の記述にあたっては、鈴は大まかな年代の指示にすぎず、穂だけが正確である事例が多い。
枝にはほとんど意味がなく、鈴にも十鈴単位の前倒しなど偽装もみられる。

神代の年数

神代においては年数や年齢についても神話であることを利用した攪乱がみられる。
アマテルは「百七十三万二千五百年」生きたとされるが、ツアヱ紀年法による計算では崩御年齢は210穂(105歳半)である。換算すると、ちょうど8250倍で記されていることがわかる。
アマノコヤネにこの換算法を当てはめると、前156年(アスス33穂)に百五十六万二十五年で崩御したとされるアマノコヤネの崩御年齢は189穂(95歳)ということになり、前219年(アマテル118穂)の渡来直後のタカ姫との結婚時の年齢は64穂(32歳半)となって、妥当な数値が得られる(ちなみにタカ姫は再婚時50穂(25歳半)であった)。
8250倍換算が適用できる用例には他にも、スヒチ即位からイサナミ即位までの期間「百二十万七千五百二十」=146穂アマツヒコネ元服までの期間「二十三万二千三百八十二」=28穂クシヒコの追放期間「十二万八千百」=15穂などがある。