女王連合のしくみ

九州王権が採用していた女王連合は、女王と婚姻した男王が大王となり、その子である次代女王は連合相手国の男王と婚姻しその男王が大王になるという、女王を媒介とした「大王交代制」であった。

当時、王族の子は男女とも28穂(数え14歳半)で元服であり、元服後すぐに結婚・出産するのがふつうであった。そのため、女王のサイクルは妊娠期間を含めて29~31穂、淑姪婚でも男王は57~59穂(数え24~25歳)で大王に即位することができた。

ただし、当初はいとこ婚モデルが想定されていたようである(タチカラヲの子イワマドの例)。その後、女王位の乱立を経て初代神武天皇の時に女王位が統一され、2代綏靖天皇の時に二女王連合並立同盟になってからは、淑姪婚の原則が完全に成立した。

その後天皇家は例外なく淑姪婚を繰り返しており、男王一代に対して女王は二代を重ねるという形が10代にわたって維持された。したがって、初代神武天皇の后タタライソスス姫が17代女王だったので、11代垂仁天皇の后ヒハス姫は37代女王ということになる。

(以下、準備中)