- 今昔物語集(1110-24年)
- 新古今和歌集(1205年)
- 釈日本紀(1275-1301年)
- 風土記逸文(釈日本紀以外)
- 御伽草子
- 草双紙
今昔物語集(1110-24年)
猿神退治
【あらすじ】
今は昔、猿と蛇の神に生贄を供えていた。東から縁あってこの国に来る人があった。多くの犬を飼い、山に入って猪と鹿を獲っている。その人は生贄となる姫と結婚し、刀を持つようになる。そして生贄の日、鉾・榊・鈴・鏡を持った者が雲のように現れて先導した。猿は七、八尺もあった。犬を飼う人が二匹の犬に噛ませて猿を退治した。(『今昔物語集』巻26第7話「美作国神依猟師謀止生贄語(美作国の神、猟師の謀によりて生贄を止めし語)」)
- 生贄:女王 ※タマヨリ姫とミラ姫
- 猿:ミチヲミ ※サルタヒコの子孫、タマヨリ姫とウマシマチの再婚を主導した
- 蛇:イナイイ ※九頭大蛇、タマヨリ姫の最初の夫
- 犬:山陰勢力 ※ホノススミ(卯川=下関市豊浦町宇賀)とウマシマチ(島根県大田市に配流)
- 東から来た犬を飼う人:クシミカタマ ※四国(東)から来て山陰王(大物主、犬の王)になった
- 山:連合同盟
- 猪:タケフツ ※アマツヒコネ(猪)の子孫
- 鹿:タカヒコネ ※春日の連合相手。クシミカタマの妻ミラ姫の曾祖父
- 刀:大王位 ※太刀は正統でない女王と結婚した大王位の隠語
- 鉾:フキネ ※「矛」は山陰王の隠語
- 榊:ミケイリ ※「榊」は日高見の隠語
- 鈴:タケヒト ※タタライソスス姫と結婚
- 鏡:アメタネコ ※「鏡」は春日の隠語
- 雲:婚姻によって結ばれた連合関係
- 猿は七、八尺もあった:ミチヲミが正式に盟主の地位にあった期間は8年
≫ブログ「猿神退治」
新古今和歌集(1210-16年)
仮名序
難波津のながれを汲みて、澄み濁れるを定め、淺香山の跡をたづねて、深き淺きをわかてり(新古今和歌集・仮名序)
※古今和歌集が暗号書であること、そして、新古今和歌集も同じ暗号書であることを伝えている。≫古今和歌集「難波津」「浅香山」
本編
ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし 天の香具山 霞たなびく(新古今和歌集1-2 後鳥羽院)
アマノコヤネ(春)が諫早地峡(空)にやってきて(来にけらし)、御笠山(天の香具山)の麓は日高見の地(ほのぼの)となったが、後にはそこにアマノコヤネの子オシクモ(霞)が住むことになった(たなびく)。
※「空(そら)」はホツマツタヱの「空(うつろ)」にあたる。「うつろ」はアマノコヤネ渡来時タカヒコネがいた二荒(別名、信濃伊那洞。長崎県諫早市の諫早地峡)の隠語。
※天の香具山の麓にあったのはミホヒコとシラタマ姫の宮(筑紫野市二日市・峰畑遺跡)だったが、ミホヒコとイクタマヨリ姫(スガタ姫)の子カンタチは安(筑前町・旧夜須町・東小田峯遺跡)に移り、有明海の塩害被害から避難してきたオシクモにその宮を明け渡した。
玉響の 露も涙も とどまらず 亡き人恋ふる 宿の秋風(新古今和歌集8-788 藤原定家)
ミススヨリ姫の女王擁立(玉響)をめぐる政変(秋風)で、連合同盟(宿)から排除された春日(露)も橘(涙)が偲ばれる。
白玉か なにぞと人の 問ひし時 露とこたへて 消なましものを(新古今和歌集8-851 在原業平)
≫伊勢物語008 ≫考察記事
信濃なる 浅間の嶽に たつ煙 をちこち人の 見やはとがめぬ(新古今和歌集10-903 在原業平)
≫伊勢物語010 ≫考察記事
駿河なる 宇津の山辺のうつゝにも夢にも人に逢はぬなりけり(新古今和歌集10-904 在原業平)
≫伊勢物語012 ≫考察記事
春日野の 若紫の すりごろも しのぶのみだれ かぎり知られず(新古今和歌集11-994 在原業平)
≫伊勢物語001 ≫考察記事
秋や来る 露やまがふと 思ふまで あるは涙の 降るにぞありける(新古今和歌集16-1498 紀有常)
≫伊勢物語027 ≫考察記事
時しらぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ(新古今和歌集17-1616 在原業平)
≫伊勢物語013 ≫考察記事
わするらんとおもふ心のうたかひにありしよりけに物そかなしき(新古今和歌集15-1632 よみ人知らず)
≫伊勢物語041 ≫考察記事【準備中】
中空に 立ちゐる雲の あともなく 身のはかなくも なりにけるかな(新古今和歌集15-1670 よみ人知らず)
≫伊勢物語042 ≫考察記事【準備中】
釈日本紀(1275-1301年)
丹後国風土記逸文「天椅立」
丹後国の風土記に曰はく、與謝の郡。郡家の東北の隅の方に速石の里あり。此の里の海に長く大きなる前あり。長さは一千二百廿九丈、広さは或る所は九丈以下、或る所は十丈以上、廿丈以下なり。先を天の椅立と名づけ、後を久志の浜と名づく。然云ふは、国生みましし大神、伊射奈芸命、天に通ひ行でまさむとして、椅を作り立てたまひき。故、天の椅立と云ひき。神の御寝ませる間に仆れ伏しき。仍ち久志備ますことを恠みたまひき。故、久志備の浜と云ひき。此を中間に久志と云へり。此より東の海を與謝の海と云ひ、西の海を阿蘇の海と云ふ。是の二面の海に、雑の魚貝等住めり。但、蛤は乏少し。
東北の隅:九州の東北に位置する北九州地方
速石の里:速吸門(関門海峡)の近く
天の椅立:日高見と住吉の子アマツヒコネと新海洋王サルタヒコの娘ウケステメ(トヨ姫アヤコ)の婚姻 ※「天」は渡来王。この一文のイサナギはアマツヒコネである。
久志の浜:配流地 ※「櫛」も「浜」も配流地の隠語。
神の御寝ませる間に仆れ伏しき、仍ち久志備ますことを恠みたまひき:ツミハがウケステメの娘トヨタマ姫と婚約しながら、ハツセ姫(タマクシ姫)との婚姻を強行し、四国に配流された
此より東の海を與謝の海と云ひ、西の海を阿蘇の海と云ふ:東の海は四国(伊予と土佐を合わせて「與謝」としたか)につながる周防灘、西の海は有明海(阿蘇の海)
此を中間に久志と云へり:北九州地方の配流地 ※「中つ代」とすることで「先」と「後」が「先の代」と「後の代」と解釈できることを知らせるとともに、四国と有明海の中間の「此=北九州地方」も配流地であったことを伝えている。直前のくだりも、先の代では歴史的な婚姻の舞台であったこの地が、後の代には配流地になったと読むことができる。
是の二面の海に、雑の魚貝等住めり:有明海(阿蘇の海)に配流されたのはミケイリ(魚)、四国(與謝の海)に配流されたのはツミハ(櫂) ※「雑」は「草」のことで配流の隠語
蛤は乏少し:イナイイは別の場所(離島=壱岐)に配流された ※「蛤」は「浜栗」で配流された(浜)イナイイ(栗)のこと
丹後国風土記逸文「浦嶼子」
【抜粋】
即ち不意の間に海中の博く大きなる島に至りき。其の地は玉を敷けるが如し。闕台は晻映く、楼堂は玲瓏きて、目に見ざりしところ、耳に聞かざりしところなり。手を携へて徐ぶるに行きて、一つの太きなる宅の門に到りき。女娘、「君、且し此処に立ち給へ」と曰ひて、門を開きて内に入りき。即ち七たりの竪子来て、相語りて「是は亀比売の夫なり」と曰ひき。亦、八たりの竪子来て、相語りて「是は亀比売の夫なり」と曰ひき。茲に、女娘が名の亀比売なることを知りき。乃ち女娘出で来ければ、嶼子、竪子等が事を語るに、女娘の曰ひけらく、「其の七たりの竪子は昴星なり。其の八たりの竪子は畢星なり。君、な恠しみそ」といひて、即ち前立ちて引導き、内に進み入りき。
昴星と畢星:カゴヤマ(嶼子)がオトタマ姫(亀比売)の家の門の前で待っていると、7人の子どもが来て、続けて8人の子どもが来る。この子どもはオトタマ姫が養育していたウカヤフキアワセズを表し、「15人の子ども」はウカヤの年齢を表す。すなわち、カゴヤマはオトタマ姫との婚姻のために鹿児島(壱岐対馬)に赴き、そこでウカヤの存在を知った、その時ウカヤは15歳だった、ということを伝える暗号である。
※万葉集・浦嶋子を補完する暗号である。≫万葉集・浦嶋子
山城国風土記逸文「賀茂社」
山城の國の風土記に曰はく、可茂の社。可茂と稱ふは、日向の曾の峯に天降りましし神、賀茂建角身命、 神倭石余比古の御前に立ちまして、大倭の葛木山の峯に宿りまし、 彼より漸に遷りて、山代の國の岡田の賀茂に至りたまひ、山代河の隨に下りまして、葛野河と賀茂河との會ふ所に至りまし、 賀茂川を見迥かして、言りたまひしく、「狹小くあれども、石川の淸川なり」とのりたまひき。仍りて、名づけて石川の瀬見の小川と曰ふ。彼の川より上りまして、久我の國の北の山基に定まりましき。爾の時より、名づけて賀茂と曰ふ。賀茂建角身命、丹波の國の神野の神伊可古夜日女にみ娶ひて生みませるみ子、名を玉依日子と曰ひ、次を玉依日賣と曰ふ。玉依日賣、石川の瀬見の小川に川遊びせし時、丹塗矢、川上より流れ下りき。乃ち取りて、床の邊に插し置き、遂に孕みて男子を生みき。人と成る時に至りて、外祖父、建角身命、八尋屋を造り、八戸の扉を竪て、八腹の酒を醸みて、神集へ集へて、七日七夜樂遊したまひて、然して子と語らひて言はく、 汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよとのりたまへば、即て酒坏を擧げて、天に向きて祭らむと為、屋の甍を分け穿ちて天に升りき。乃ち、外祖父のみ名に因りて、可茂別雷命と號く。謂はゆる丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神なり。可茂建角身命、丹波の伊可古夜日賣、玉依日賣、三柱の神は、蓼倉の里の三井の社に坐す。
ホツマツタヱの「白羽の矢神話(27)」の「白羽の矢来て 軒に刺す 主の穢の 留まりて 思はず男子 生み育つ 三つなる時に 矢を指して 父と言う時 矢は昇る ワケイカツチの 神なりと 世に鳴り渡る」という一節を補完する暗号である。
人と成る時に至りて:タケスミの孫ミケイリが3穂(2歳)になった時である。
子と語らひて言はく汝の父と思はむ人に此の酒を飲ましめよ:「子」とは孫ミケイリではなく、娘の夫のイナイイであり、「汝の父」とはイナイイの父である。
盃を挙げて天に向けると屋根を破って天に昇った:父は天にいて、そのあとを追って天に昇った。すなわち、イナイイは父ニニキネとともに鹿児島(壱岐対馬)に配流された。
外祖父の御名に因りてカモワケイカツチと名づける:ホツマツタヱはワケイカツチをニニキネと明記するが、実際はアマノコヤネである。ただし、白羽の矢神話においては、そのままニニキネと読めばよい。「外祖父の御名に因りて」の部分は、それに「カモ」を冠したことを指している。つまり、カモワケイカツチとは、ワケイカツチ・ニニキネとカモ・タケスミの子同士の婚姻によって、イナイイが賜った名である。
※この暗号は、「白羽の矢神話」の「矢(イナイイ)、タマヨリ姫、ミケイリ」に「矢(ニニキネ)、トヨタマ姫、イナイイ」が重ね合わされていることを知らせるためのものである。
※なお、民間に伝承された「白羽の矢神話」は、夫イナイイを追放されたタマヨリ姫がイツセと再婚するために召される、という後半部分が伝わったものである。
※「久我の国の北の山基」は玖珠盆地北部の山下に比定する。当地の大御神社の祭神にはタケイワタツ(ミケイリ)が名を連ねる。
伊予国風土記逸文「天山」
伊予国の風土記に曰はく、伊予郡。郡家より東北のかたに天山あり。天山と名づくる由は、倭に天加具山あり。天より天降りし時、二つに分かれて、片端は倭の国に天降り、片端は此の土に天降りき。因りて天山と謂ふ、本なり。其の御影を敬礼ひて、久米等が奉れり。
ホツマツタヱの「伊予のイフキは 天山に 写し田を成す(24)」に呼応した暗号である。
天から降りてきた時に二つに分かれてヤマトの香具山と伊予の天山になった:ツミハの追放後、反乱を企図したフツヌシ(カグヤマ)とツハモノヌシ(イフキトヌシ=フトタマ)も追放された(暗号「猿去る沢に起こる道かな」)。この暗号は、その配流先が日高見(福岡県行橋市/みやこ町)の香具山下(香具山は御所ヶ谷神籠石)と、伊予の天山(愛媛県松山市立花、天山は松山城のある勝山)であることを伝えている。なお、イフキトヌシが最初に配流されたのは、ツミハが配流された青垣殿(高知県仁淀川町橘)であり(イフキトヌシの別名にトサツヒコ)、その後、山奥から海沿いの天山に移ることを許されたものと考える。
摂津国風土記逸文「夢野・刀我野」
雄伴の郡。夢野あり。父老の相伝へて云いへらく、昔者、刀我野に牡鹿ありき。その嫡の牝鹿はこの野に居り、その妾の牝鹿は淡路の国の野島に居りき。かの牡鹿、屡野島に往きて、妾と相愛しみすること比なし。既にして、牡鹿、牝鹿の所に来宿りて、明くる旦、牡鹿、その嫡に語りしく、「今夜夢みらく、吾が背に雪零りおけりと見き。又、すすきと曰ふ草生ひたりと見き。この夢は何の祥ぞ。」といひき。その嫡、夫の復妾の所に向かむことを悪みて、乃ち詐り相せて曰ひしく、「背の上に草生ふるは、矢、背の上を射む祥なり。又、雪零るは、白塩を宍に塗る祥なり。汝、淡路の野島に渡らば、必ず船人に遇ひて、海中に射死されなむ。謹、な復往きそ。」といひき。その牡鹿、感恋に勝へずして、復野島に渡るに、海中に行船に遇逢ひて、終に射死されき。故、この野を名づけて夢野といふ。俗の説に云へらく、「刀我野に立てる真牡鹿も、夢相のまにまに」といへり。
「タケコ姫 多賀に詣でて 物主が 館に終われば ススキ島 亡骸納め 竹生神」(28文)に対する暗号である。
宇佐(刀我野=莵餓野(紀))の橘(牡鹿)のもとにはウサコ姫(嫡)が、多賀(淡路の野島)には大物主クシミカタマの后となったミラ姫(妾)がいた。ウサコ姫がアメタネコの后となって春日との連合が成立し(雪が降る)、ミラ姫にはタタライソスス姫が、ウサコ姫にはミススヨリ姫が生まれた(ススキが生える)。
風土記逸文(釈日本紀以外)
丹後国風土記逸文「奈具社」(古事記裏書 1424・元元集 1337)
【暗号部分のみ抽出】
舞台は丹後国丹波郡の郡家の西北の隅にある「比治の里」。
天女が水浴びをしていたのは「比治山」の頂にある「真那井」の泉(いまは沼とされる)。
老夫婦に衣裳を隠されて子どもになってほしいと懇願され、十余年を過ごしたにもかかわらず、突然追い出された天女が行き着いたのが「荒塩の村」。
次に槻の木にすがりついて泣いた「哭木の村」。
そして、最後に行き着いて住むことになったのが「竹野郡船木の里の奈具の村」。
安芸の国(北九州市)の話である。同様の暗号に「近江国風土記逸・伊香小江」がある。近江国風土記逸文がミチツル姫と夫シイネツヒコの話であるのに対して、丹後国風土記逸文はミチツル姫と父ホノススミの話である。
郡家は「岡の港=竹水門」(小倉北区横代)であり、その西北にある「比治の里」とは到安方運河(小倉北区上到津~戸畑区菅原)のある勿来。「奈具」は「名児=勿来」であろう。
「荒塩」はホツマツタヱに「代々荒潮の 八百会の 浸せど錆びぬ 神鏡(8文)」と記される「八百会」の比定地、関門海峡のことである。
「竹野郡」というのはタケリ宮(小倉北区須賀町)から竹水門にかけての地域、「船木」はその地域にあって「水茎」と呼ばれた穴門運河のこと、「哭木(なきき)」は「花茎(はなくき)」と呼ばれた到安方運河のことだと考えられる。
その頂に「真那井」があるとされる「比治山」は現在の金毘羅山であろう。その東麓にはいまも金毘羅池がある。到安方運河のすぐ南側にあたり、この水源に堰を作ればすぐに水位調整用施設として整備できる立地である。「泉がいまは沼になった」とするのは、そのことを伝えているのではないか。
そして「真那井」という地名。国境を表す地名「ナコ(勿来、名護屋)」は、山間部では「マナコ」である。この「マナ井」もまた国境を意味する地名のひとつであるようだ。
「比治山」の「ヒジ」は、現在「土」という漢字が「ひじ」と読まれるように「土・泥」という意味。舟運路整備の条件として、干潟の「鏡」、岩盤の「岳(たけ)」と対比される概念であるとみる。
丹後国風土記逸文「国号」(海部氏勘注系図割注)
丹波と号くる所以は、昔、豊宇気大神、当国の伊去奈子嶽に天降り坐しし時、天道日女命等、大神五穀及び桑蚕等の種を請ひき。便ち其の嶽に、真名井を掘り…
「大神五穀」とは3つの女王連合を構成する盟主と5つの王族、「桑蚕等」は海洋王連合のこと。この4つの連合の女王として、アメミチ姫とタカヒコネの4人の女子が擁立されたことを「種を請う」と表現している。それをトヨウケが「丹波」に天降った時のことだとするのはもちろん虚偽である(実際は70年も時代が違う)が、これはトヨウケの向かった宮津とアメミチ姫のいた到(宇佐)が同じ場所であることを知らせるとともに、その場所の地名が後に丹波に写されたことを知らせる暗号ともなっている。
筑前国風土記逸文「塢舸水門」(万葉集註釈 1269)
塢舸の県。県の東の側近く、大江の口あり。名を塢舸の水門と曰ふ。大船を容るるに堪へたり。彼より島、鳥旗の澳に通ふ。名を岫門と曰ふ。小船を容るるに堪へたり。
岡の港は一般的には遠賀川河口に比定されるが、穴門の南口、北九州市小倉南区横代南町の高倉八幡神社である。大江はかつて入り江だった竹馬川下流域を指すか。
「澳」には「沖」という意味もあるが、「入り江の奥」という意味もある。
鳥旗(戸畑)の入り江の奥に通うのは、到安方運河である(到:小倉北区上到津、安方:戸畑区菅原)。
隣接する二つの運河は、大型船の通れる「穴門」、小型船しか通れない「岫門」という対比で呼ばれていたのかもしれない。
なお、「島」についてはかつて島郷と呼ばれた若松に比定するのが一般的だが、「到」の別名「玉島」のことだと考える。すると、「島・鳥旗の澳に通ふ」はそのまま「到と安方に通ふ」と解釈できる。
そして、最大の暗号は「おか」の漢字表記である。
「塢」は土手、「舸」は大型の船。船のための土手とは、まさに運河のことであろう。
近江国風土記逸文「伊香小江」(帝王編年記 1364-1380)
古老の伝へて曰ふ。近江国伊香郡。与胡郷。伊香の小江。郷の南にあり。天の八女、俱に白鳥と為り、天より降りて、江の南の津に浴む。時に、伊香刀美、西の山にありて遥かに白鳥を見る。其の形奇異し。因りて若し是れ神人かと疑ふ。往きて見る。実に是れ神人なり。ここに伊香刀美、即ち感愛を生し、得還り去らず。窃かに白き犬を遣り、天衣を盗み取る。弟の衣を得て隠す。天女、乃ち知る。其の兄七人は天上に飛び昇る。其の弟一人は得飛び去らず。天路永く塞す。即ち地民と為る。天女の浴む浦を、今、神の浦と謂ふ、是なり。伊香刀美、天女の弟女と共に室家と為り、此処に居り。遂に男女を生む。男二たり女二たり。兄の名は意美志留、弟の名は那志登美、女は伊是理比咩、次の名は奈是理比売、此は伊香連等が先祖、是なり。後、母、即ち天羽衣を捜し取り、着て天に昇る。伊香刀美、独り空しき床を守る。唫詠断まず。
「八女」は「八幡」で、タカヒコネとアメミチ姫(ヨト姫)の四人の女子の八人の子孫のことであり、「伊香」は「宇佐」、「与胡」は「名児」である。
「南の津の西の山」とは到津八幡神社(北九州市小倉北区)の西側にある菅原神社(北九州市戸畑区)であり、伊香刀美はシイネツヒコ、シイネツヒコと夫婦になったのはミチツル姫、「白い犬」とはミチツル姫の父ホノススミだ。ホノススミが「白い犬」なのは、その別名が「白鬚」で、山陰の卯川宮(下関市豊浦町宇賀)にいたからである(犬は山陰の王族の隠語)。この「白い犬」が「天衣を盗む」のは、ホノススミが娘ミチツル姫を同盟国諸国の意向に反して王位継承権のない相手(四国のタケフツ)と婚姻させようとしたことを伝えている。
伊香刀美と天女の間の二男二女のうち、実子はウサツヒコとウサコ姫。ホツマツタヱは娘の夫を実子と偽装することが多いので、この風土記逸文でも同じ手法が使われているとすると、二男のうち一人はウサコ姫の夫アメタネコのことではないかと考えることができる。だとすれば、二女のうちの一人はアメタネコの妹ヤセ姫のことかもしれない。
風土記逸文が記す二男二女の名は、男子はオミシルとナシトミ、女子はイゼリ姫とナゼリ姫。
オミシルは「臣知る」でウサツヒコが女王連合から排除されたことを知らせている。
ナシトミはウサコ姫の夫アメタネコが「中臣」の系譜であることを知らせているのだろう。「宇佐(ウサ)」が「伊香(イカ)」と記されているのは「サ行とカ行を交換せよ」という暗号だ。
さらに、それは「ウとイを交換せよ」という暗号でもあるので、イゼリ姫はウサコ姫。
そして、「名児(ナコ)」を「与胡(ヨコ)」とするのは「ナ行とヤ行を交換せよ」という暗号ということになり、ナゼリ姫をヤセ姫と読むことができるのである。
御伽草子
一寸法師
【あらすじ】
体の小さな一寸法師が海を渡って旅に出て、奉公先の娘を連れて島に渡り、鬼を退治して、鬼が置いて行った打ち出の小槌で、体を大きくし末代まで栄えた。
津の国難波の里に、おほぢとうばと侍り。うば四十に及ぶまで、子のなきことを悲しみ、住吉に参り、なき子を祈り申すに、大明神あはれと思し召して、四十一と申すに、ただならずなりぬれば、おほぢ喜び限りなし。やがて十月と申すに、いつくしき男子をまうけけり。
※住吉を継承していたタケスミに男子が生まれず、トヨタマ姫の子イナイイは天孫嫡系を継承したため、アマツヒコネはトヨツミヒコの子オトタマ姫に養子をとることにし、カゴヤマを後継者に指名した(≫「住吉七代」)。ようやくカゴヤマが壱岐に向かった時、オトタマ姫は40穂(20歳)であった(≫「「一寸法師」に記される年齢」)。そしてオトタマ姫が41穂(21歳)の時に生まれたのがタケフツ(一寸法師)である。
はや十二、三になるまで育てぬれどもせいも人ならず。
タケフツは三歳で配流され、元服しても(十三=四国地方の元服年齢)復権することがなかった(せい人ならず)。
かやうの者をば住吉より賜りたるぞや、あさましさよ、と、みるめもふびんなり。
※住吉の後継者カゴヤマの子の隠語が「海松布」であることを伝える。
身体が小さい:タケフツは3歳半の時に配流された。
お椀の船で旅に出た:タケフツは四国に配流されていたツミハの姫と婚約し四国に渡った(「先にツミハと タケフツと 伊吹宮に 二十四県 して治めしむ(27)」)。ホツマツタヱには「ツミハが鰐に乗って阿波に向かった」という記述があるが、その子クシミカタマの諱をワニヒコとするのは攪乱であり、ワニヒコとはタケフツのことである(「お椀」は「鰐」の類音)。
鳥羽の津に着き「三条の宰相殿」の家を訪ねた:三条は西条か。愛媛県西条市には旧橘村があり、当地の伊予一宮の祭神はオオヤマスミ(ツミハの父サルタヒコの別名オオヤマクイが誤って伝わったものと考える)である。南側には伊吹山もあるので伊吹宮をこの地に比定し、「宰相殿」の家はその伊吹宮であると考えたい。鳥羽の津は、永納山城神籠石の麓の楠神社の祭神に御井神(タケフツの父カゴヤマ)が含まれており、船戸地名もあることから、その地に比定しておく。
かくて年月送る程に、一寸法師十六になり、せいはもとのままなり。さる程に宰相殿に、十三にならせ給ふ姫君おはします。御かたちすぐれ候へば、一寸法師姫君を見奉りしより思ひとなり、いかにもして案をめぐらし、わが女房にせばやと思ひ…
タケフツは配流されたまま(せいはもとのまま)16歳になり、13歳のセヤダタラ姫と結婚した。
※「さる程に」:宰相殿(クシミカタマ)はサルタヒコの子孫である。
※「御かたちすぐれ候へば」:セヤダタラ姫は正統女王の血統を引く女子である。
※13歳で元服したとすれば、四国の元服年齢は九州の28穂(14歳半)とは異なっていたことを示唆している。
姫の口に米をつける:ツキヨミがカダのウケモチを殺害する場面の(古事記ではソサノヲがオオゲツヒメを殺害したとする)「口より米の 飯炊ぐ」という記述と呼応しているようにみえる。その出来事の舞台は四国である。
二人が乗った船は風に乗って薄気味悪い島に着いた:ツミハの娘と結婚したタケフツはその後九州に戻った。
いづくともなく鬼二人来たりて、一人は打出の小槌を持ち、いま一人が申すやうは、「呑みてあの女房取り候はん」と申す。
ホノススミは自らの娘ミチツル姫(打ち出の小槌)をタケフツに娶らせるとともに、セヤダタラ姫(女房)を自らが娶ろうとした。
※ホノススミは女王スセリ姫との間に男子がなく、男子をもうけるための再婚を望んでいた。
打出の小槌、杖、笞、何にいたるまでうち捨てて
ホノススミはミチツル姫(打ち出の小槌)をタケフツに娶らせることをあきらめ,連合内で与えられていた山陰海洋王の地位(杖)を失い、タケフツはこの一件で復権した(「笞」は刑罰の道具)。
鬼は一寸法師を吐き出し、打ち出の小槌を置いて逃げて行った:タケフツはホノススミの提案を受け入れるふりをしてミチツル姫の身柄を預かり、その身柄を九州王権主流派に引き渡した。なお、ミチツル姫は橘のシイネツヒコと結婚し、その娘ウサコ姫が春日アメタネコと結婚することで、ソサノヲ嫡系は傍系の橘に吸収されることになった。
打ち出の小槌を振ると体が大きくなり、末代まで栄えた:その功績が認められてタケフツは復権し(体が大きくなる)、男子タカクラシタ、女子イヒカリ姫に王位継承権が与えられた。実際イヒカリ姫は13代女王に擁立されて、ツミハの二男トカクシの子ミチヲミの后となった。タカクラシタも後に大王となった。
一寸法師の両親が帝に所縁のあった無実の罪で流罪となった貴族の遺児であったことが判明した:カゴヤマの父ホノアカリは天孫の兄で、王位継承問題で父子ともども宇土(熊本県宇城市)に配流された。一方、オトタマ姫は、セオリツ姫擁立失敗によって壱岐に幽閉されたアマツヒコネ(アマテルとハヤアキツ姫の子)の子孫である。
※父カゴヤマは浦島太郎である。つまり、浦島太郎と一寸法師は親子である。≫万葉集・浦嶋子
金太郎・酒吞童子(御伽草子)
【金太郎】金太郎は足柄山で熊と相撲をとり、その能力を買われて盟主の四天王となった。
【酒呑童子】四天王は、若い男女をさらう鬼・丹波の酒吞童子を退治した。酒吞童子の一番の弟子である茨城童子は逃げのびた。
(検討中)
草双紙
桃太郎
【あらすじ】
川の上流から桃が流れてきて、その実を食べた老夫婦が若返って桃太郎を生んだ。桃太郎はきびだんごを犬、猿、雉に分け与えて家来にし、鬼を退治した。
- 桃:海洋王トップの「大国主」の地位
- 川の上流から桃が流れてくる:配流先の青垣殿(高知県吾川郡仁淀川町橘)から赦免されて川を下った。御坂川に比定。
- 老夫婦が若返って子を生む:ハツセ姫(タマクシ姫)は最初ホノアカリと婚約したが破談になり、タケスミとの婚約を破棄してツミハとの結婚を強行した。「若返る」とは、ホノアカリと比べて11歳年下のツミハと結婚したことを指すか。
- 桃太郎:トカクシ ※「大国主(桃)」に任命された
- きびだんごを分け与えて家来にした:トカクシの子孫と結婚した。吉備は海洋王族の拠点で、ここでは刺国(佐賀県唐津市鎮西町名護屋)と吉備高島(有明海沿岸。佐賀県武雄市・椛島山遺跡)のこと。
- 犬:フキネ。トカクシの娘サシクニワカ姫の夫 ※「犬」は山陰勢力の隠語
- 猿:クシミカタマ。サシクニワカ姫の娘ミラ姫の夫 ※サルタヒコの子孫。トカクシの弟
- 雉:イヒカリ姫。トカクシの息子ミチヲミの婚約者 ※「雉」は外部から擁立された女王の隠語
- 鬼:イナイイ。家来とともに退治したホノススミのことも重ねられているか ※トカクシが大国主に任命されて越の刺国に派遣されたのは、壱岐(佐渡)のイナイイ(九頭大蛇)の反乱を鎮圧するため。≫九頭大蛇 ≫フトマニ・ヲ折れ
猿蟹合戦
【あらすじ】
蟹と猿がおにぎりと柿の種を交換し、蟹が育てた柿がたくさんなる。猿が取ってやると言って木に登り自分ばかりが柿を食べる。蟹が文句を言うと硬い柿をぶつけられて蟹は死ぬ。子蟹たちは仲間たちの協力を得て親の仇を討つ。
≫考察記事
- 猿:ホノススミ
- 蟹:タカヒコネとその子孫
- 柿の種:アメミチ姫
- 柿:アメミチ姫の四姉妹とその子孫
- 猿が食べた柿:ホノススミの后となった四姉妹の三女スセリ姫
- 猿が蟹にぶつけた柿:ホノススミとスセリ姫の娘ミチツル姫
- 卵:アメタネコ ※アマノコヤネ(鶏)の孫
- 栗/蛇:ミケイリ ※イナイイ(栗/九頭大蛇)の子
- 蜂:クロハヤ ※ニギハヤヒ(蜂)の孫
- 包丁:タケヒト ※「小刀」は元服前の女王候補の隠語。元服前のアヒラツ姫と婚約
- 荒布/針:タケフツ ※タケフツの隠語は「海松布」 ※一寸法師は刀の代わりに針を持つ
- 牛糞:ミチツル姫 ※ホノススミ(牛)の娘
- 杵:フキネ
- 臼:ミチヲミ(クシミカタマの可能性も?) ※ウズメの子
枯木花さかせ親仁
昔の事なるに、ある田舎に、正直爺婆と、慳貪爺婆と住みけり。 正直婆、川へ洗濯に出けるが、折ふし川上より狆ころ一疋流れくる。正直婆、不憫に思い、かの狆ころを拾い、連れ帰り、可愛がり育てけり。
慳貪婆も川へ洗濯に出けるが、川上より飯櫃流れくる。もとより貪欲深き婆なるゆえ、飯櫃拾う。 狆ころ大きくなり、爺婆になつき、ある時犬が言うよう、ここを掘ってみ給え、とて教えけり。犬の教えし所を掘りければ、金銀銭おびただしく出けり。
(正直婆)「犬に飯を喰わせましょう」
(正直爺)「さてさて大ぶんな小判かな。これではほんの犬様だぞ」 慳貪爺うらやましがる。
(慳貪爺)「おらも犬をちっと借りましょう」
慳貪爺、犬を借りて、背中に鍬鍬をつけ、あちこちと追いまわす。犬、くたびれてけつまずきし所を、金ありと心得、掘りければ、さまざまの糞出ずる。 糞を掘り出す。
(犬)「無理な爺様だ。きゃんきゃん」
(慳貪爺)「憎い畜生めだ。ぶち殺してここへ埋ずめるぞ」
(慳貪婆)「爺様、まっとぶたっしゃい」 慳貪爺、大ぶん腹立ちて、ついに犬を叩き殺す。
慳貪爺、隣の犬を借りてぶち殺し、印に松の木を植えておきけり。正直爺悲しがり嘆く。 慳貪爺「犬を殺したかわりに松の木をやるから、こなたの好きに召されろ。泣く事はござらぬ」 正直爺松の木を切り、臼をこしらえんと言う。
正直爺、松の木を切り、臼をこしらえ、団子を碾き、犬に手向けんと言う。
(正直婆)「さればされば、隣の爺殿は惨い惨い」 正直爺婆、臼を碾きける時、不思議や、粉に混じりて金銀碾き出す。
(正直爺)「婆や、これにつけても犬の事が思い出されて不憫でおじゃる」
慳貪爺、又隣の臼を借りて碾きけるに、金ば出ずしていろいろの糞を碾き出しけり。腹を立ち、打ちくだき火にくべる。
(慳貪爺)「業腹な、こんな臼は薪にしたがようござる」
(慳貪婆)「さいわい薪がなかった」 正直爺、その灰を笊に入れ、わが家に帰る。
(正直爺)「せめてこの灰でもよこさっしゃい。入れます」
(慳貪爺)「たんと持っていくまいぞ」
正直爺、かの灰を持ち、枯れ木に上がり花咲かせんと言う。かかる所へ御大名通らせ給い、御所望ありければ、爺いろいろの花咲かする。
(正直爺)「さて、ただ今咲かせまするは、桜に霧島、百日紅、山茶花と御目にかけます。はっはっはっ」
(大名)「さても不思議な。それ、褒美とらせよ」
(家来)「かしこまりました」
(奴)「いよいよ、親はないか」
正直爺、枯木に花咲かせて御褒美大ぶん貰い、夫婦うれしがる。
(正直爺)「このごろに、まっと田地を買わっしゃい」
(正直夫婦)「光る小判の」 慳貪爺、体を見て羨む。
(慳貪爺)「わしも明日から花咲かせに出ましょう。花が咲けばよいが。ああその金がほしい。こなた衆は、二人でむまい話ばかりするの」
(正直爺)「まず出てみさっしゃい、よい事もあろう」
(大名)「憎い奴の。花は咲かせいで目へ灰を□□おった」
(家来)「そいつ、締めましょう」
(家来)「おのれ、大騙りめ。なぜ旦那の目へ灰を入れおった」
(家来)「□ようにしましょう。泥棒めが」
(慳貪爺)「ご許されましょうご許されましょう」 慳貪爺、ぶち殺さるる。
正直爺婆、心素直なるゆえ、天道の恵み厚く、枯木に花も咲き、何にくらからず、有徳にて一期栄えけり。
(正直爺)「おれはひとえに、花の咲いたおかげで金儲けし申した」
(正直婆)「金がだんだん増えて二千両に〔なりましたの。〕嬉しや嬉しや」
≫考察記事①/②